天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

為の人生

2020-11-05 21:20:00 | 人生
令和2年10月28日
[人は汝の為にあり 汝は人の為にあり]

大阪の吉本新喜劇は、コロナ時代で60年の歴史で初めて休演したそうです。
座長の小藪千豊さんは、以下のように語っています。

日常が音を立てて崩れていく。その中から良いことを見つけ出して、手を尽くした先に未来がある。

『自身で心に問いかけて、ホンマに手をつくしたんか。これを人のせいにするな。良いことは人のせいやで、僕らより、大変な人いっぱいいるんや。お笑いなんてなくてもかまへん』

『誰かに必要とされんかぎり、そこまでがんばらんとな。何もかも初めてや。一歩でなくて、半歩でもいい前に、世界中苦しいんや』

こんな時代は初めてといいいますが、歴史の中では伝染病と生活困難は時代のうらおもてです。

そういう状況では、誰もが頼りあいたい。
しかし健康な人は、病人を排除しようとします。
そして、人の気配がなくなるのです。

そのなかでも、平気で手を述べてくれる先導者が御神尊様です。
御神尊様29歳ごろ、四国の遍路で山野を巡りながら、西国の巡礼修行の傍ら病人に添い寝をしながら、家族に愛の生活を自らの背中でしめしたものです。

『あなたは人の為にあり、人もまたあなたのため』にあります。
『親は子の、子は親のため』にあります。
『お互いのためと為とに心合わせる生活』のなかに『まことの愛の生活がうまれる』ものです。やります。!

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幸せは何処に

2020-11-05 21:14:00 | 人生
令和2年10月27日
[人を離れて生きてみよ 人を憎んでいきてみよ]

言いたい事を言って楽になるということは、相手に悩みを訴えた結果、楽になるということになります。
それを敢えて言わずに耐えると、苦しくなるようです。

その一言で楽になるつもりが、人と切れて離れることにあります。

『幸せはどこにあり、何を指すのか?』それはけさのことばの裏にかくされている。
『人に好かれること、親しまれれる』ことにあります。そして尊敬されればなお最高です。

そして、『すべての人を好きになる』とあります。
これも実は『嫌いな人を、好きになる』だけです。
何のことはない、『嫌いをなくすだけ』これですべてと繋がるのです。簡単なことです。

ただ、問題があるとすれば、『あなたから好きになる』という、これが問題点です。
これだけです。嫌えばお返しがきそう。賢明な皆様方は、因果を考えるはず。

親子、夫婦が、そして隣人とキレて離れられるものなのか。それで生きられるものか?
御神尊様は[生きられるか、憎んでいきてみよ]と云われます。
いかにあなたが正しかろうと、切れて憎んだほうが苦しいに決まっています。

それでは生活がなりたちません。
『自ら不幸の道を選択している』のです。
もう『好いて好かれる人生に入る』の年令ではありませんか。
ちょっと塩加減『親しみも付け加えましょう』やります!
 
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合掌の日々

2020-11-05 19:40:00 | 信仰と生活
令和2年10月26日
[自分一人で働いてきた 自分一人で生きてきた]

広い天地に目を向けると、樹木や野草の1本といえども、目には見えず、耳には聞こえないものが、これを養い育てていることに気づきます。特に合掌の日々をかさねればこそです。

人間もまたしかり。
この身体を、何かを思わせ、何かを行動して、生命を延長させるものがひそんでいます。
つまり、見えるものとみえざるものとの密接な関係があります。

人間は意外にもわれの愚かさと、救い難い迷いとがあります。
それは、自分一人で働いてきた、自分一人で生きてきた。
このように、ともすれば誤った考え方をしがちなのが人間です。

目に見えざる偉大な力、絶対の存在の命の素、これ無くしては生きるにいきられず。
これからも今日まで生き、これからも生かされて行くという自覚が大切です。

すべての人に、その人の人生を喜びと楽しみを発見、身につけるのが善隣の道です。
本質は見えざるはたらきが、見える働きに姿を顕わす幽顕の妙理をとうして感恩感謝の人になることです。

その妙理を開くには、
親よ子に合掌せよ。
子よ親に合掌せよ。
しかして、人間互いに合掌、これこそ自分自身に対する生きたる合掌です。

これの実践こそ、願わずとも幸せの道をすでに歩むものです。やります!
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命のアンカー

2020-11-05 12:38:00 | 信仰
令和2年10月25日
[苦しみに平行 して楽しみを 悲しみに平行して喜びに]

人間はその持てる力を傾けつくして、日常生活に励んでも生詰まることはたびたびです。

人間の日常生活では、ある程度の自由度が許されているとはいうものの、何か問題に遭遇すると、たちまち身動きができなくなります。これを自縄自縛(じじょうじばく)といいます。

『己が心の使い方、己が体の使い方』で、不自由な暗く寂しさに落ち、実に哀れな状態に、追い込まれる場合があります。

人並みに生きて働く心の力を持ちながら、健康溢れる五尺の身体に恵まれながら、自らの手足を縛るとは、自ら苦の世界を招き寄せるとは、おかしなものです。

しかも、どんなに恵まれた立場の人も、苦の世界をたびたび覗くことになります。
それを運命の見えない壁といいます。『心の使い方、生活の仕方の中心』をどこに持つのか!

『アンカー』ということばがあります。
船のイカリだけでなく、リレーの最終走者にも、綱引きにも、テレビの司会者などにつかわれます。

バランスをとる、まとめる、支える、よりどころという意味です。
『楽しみも苦しみにも偏らず』たとえ苦しみに没頭しても、アンカーが働けば復原力がはたらきます。
それは日々の合掌にあります。祈りの最大の効用でしょう。人生は苦楽の織りなす洋服です。やります。!
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