天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

心の転倒予防

2020-11-17 20:34:00 | 信仰と生活
令和2年11月17日
[神の救いを 手で受けるなかれ 足で受けるなかれ ]

テレビのCMなどで、高齢者に転倒予防を警告しています。
でも、逆転の発想で倒れる稽古を、毎日やる方法もあります。
私は武道をしていましたから、受け身を取る稽古をかなりやりました。

稽古は、投げられて技を覚えます。そのおかげで、つまずいて倒れたことがありますが、スローモーションのように倒れるから、怪我をすることはありません。

たとえ手や足に、目や耳を病いに侵されようとも、自分の体のことを考え心配するよりも、まずは夫の為、妻のため、親、子のため人の為に合掌してください。

つまり、心(で)受けること、心(に)受けることです。
一般的に、体の心配が先立つものです。
習い性となる、その言葉どうり、習性になって、見えていません。
この習性を変える努力が、祈りに優る近道です。

赦すことができないのは、変われないのが原因です。
過去に対するこだわりが障害になっています。
心も体を心配するぐらい、倒れては立ち上がる稽古を積めば、必ず変われます。
やります!

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生き方を定める

2020-11-17 12:41:00 | 信仰と生活
令和2年11月16日
[人生は浮雲に似てその生涯や定まらず]

最近テレビで俳句の番組があり、よくもまあ、俳句が番組の企画で成り立つものと感心しています。

そして少年時代は、(俳句を詠む人に憧れて、放浪していく人生をすごいなあ)と、その奥の苦悩も分からずに読んだものです。

私は、四国で遍路の旅をしながら、俳人たちの運命を思ったものです。
四国の札所のお寺にお世話になっていた俳人がいました。中国地方から、九州に向かい酒を友としながら、放浪、漂泊の旅路の人もいました。

同じ放浪でも御神尊様のように、どうすれば苦しむ人々の人生を救うことができるのか。
野宿や墓地を宿として、道を求めての旅路。ひとりの歩く人生の方向がかくも違うものか。

放浪者の共通項は、育ちに見ることができます。
親子の縁が薄く、経済的困窮に出会い家を捨て、浮雲のように生涯定まらず、風にまかせ気まかせの人生です。

そこに幸せでありたい、健康でありたい、親はどうしているのだろうか?
兄弟は?などは心配はしてはいるのでしようが『自分自身の運命を保障する力』がないのです。

『自分の人生を保障するのは、合掌の力しかありません』
そして『心は運命の製造者にして生活は運命の製造所なり』これの実践により、エネルギーはここから生まれます。
立派な業績を残し評価されながら、放浪の果てに倒れていく方の終末が残念です。

やります!

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