天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

無条件

2020-11-14 21:33:00 | 運命の原理
令和2年11月14日
[神に祈る気持ちで 人に祈る]

御神尊様が最も厳しく指導されたところです。
世間を見れば、相も変わらず条件付きの合掌をみうけます。

『人間には純粋に理屈を超えて、無条件になる瞬間がある』ものです。
理屈を言って我を張る一瞬もない、命ギリギリの場に立たされると、誰もが思わず合掌するものです。

『この瞬間の合掌こそ、本当に純粋な祈り』です。また何かの災いや難を逃れた時、ひとりでに合掌の姿になります。

これも無条件でもあります。
このような『純粋で無条件の心境で、人のために幸いを祈る』これこそ『救われるための1番の近道』といわれます。

『自分の心にわだかまるものを一切捨て』『純粋無垢、雑念を払った』『あなたこそ天地を動かすもの』です。やります!
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修練

2020-11-14 21:28:00 | 運命と心
令和2年11月13日
[人と切れて離れたところへ 居る間は神に遠し]

スポーツ界で素晴らしい活躍をした選手を見ると、感動しながら、皆様は何を思うのでしょうか。
そこが気になるところです。

才能の問題はあるにしても、それぞれの立場、目指す人生の目標。なぜ満足のいかない結果に出会うのでしょうか。

彼らは毎日同じストレッチ、同じランニングにそれぞれの種目の練習や学習を、繰り返しているだけです。

基本的には同じことの繰り返しです。しかし、私たちはどうかすると、簡単に解決する道を求めがちです。ことを急ぎすぎるのです。

一流の選手ほど、『当たり前のこと』にこだわって、淡々と日々繰り返しています。
そんな時、夜の街に出かけていく選手も多いとネットにありました。

私たちは『自分ひとりの幸せではなく、家族や隣人と共に幸せの道を歩きたい』のです。
そのためには『教えられたことは何としても、身につけなければなりません』

絶対に避けなければならないのは、なぜ人と切れて離れるのか。
そこを『切れて離れることのない精神力』この『1点さえ身につければ、この人生怖れる』ものはありません。

それのコツは『自分自身がどんなに正しかろうと、無条件に相手を受け入れることの修練』からが始まりです。
あなたも一流アスリートの仲間入りですね。やります!





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幸せの近道

2020-11-14 21:21:00 | 運命と生活
令和2年11月12日
[ただ人間かくあらざれば 生きるに生きられず]

天地の道理は、なかなか見えないものです。まして自分の心となれば、客観視できないでしよう。
でも、絶対の道は目には見えないけれど、『かくあらざれば生きられない法則』の中に生かされていると、御神尊様は説かれています。

宗教的には、なにかと病気治しや厄除け、などの特効薬のような見方をされます。
つまり、事情しだいで神は、近くなったり遠くなったりするものです。

しかし合掌の精神は、夫の妻の子の『らしい道』があります。人というものは、肉体のみで生きるのでありません。
言うまでもなく、『愛の一念により心に喜びを持たねば生きている甲斐』がありません。

だから、『幸せ健康を願う前に、ひとりの人間として生き方に目覚める』ことこそ、真の幸せといえましょう。

それが『誰かを許す』ことができず『対立を捨て切れず、深い悩み』に沈む日々であればこそ、あなたは神から遠く離れるばかりです。

お互いに辛い思いのはず、苦しい境遇のはず、だからこそ決して『憎み咎めはしません』と、
『すべてを赦す』ならば、これこそ『天地の道に叶う』ことになります。これが幸せの近道です。やります!







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祈り

2020-11-14 11:05:00 | 信仰と生活
令和2年11月11日
[人に祈りて 神に救われんとする方法は 遠くして近し]

いまわが家の玄関には、靴が何足か並んでいます。かつては、泥に汚れた小さな靴で溢れていたました。

まるで人間の感情をあらわにしたみたいに、右に左に重なりあっていたものです。あの姿はどこにいったのでしょう。

『靴を揃えなさい』と大きな声を出した記憶があります。私が帰りが遅いので、多分そのように言った張本人でしょう。

しかし、面白いことにふと気がつくと、今では少ない靴を揃えるクセがついたことに驚きました。
さらにしばらくすると、『あれ!これは何かな』と起きる現象に気づいたものです。
不思議に、次々に良いことが起こり始めていたのです。

そしてハットしたのは、当たり前のことを毎日続けることの結果であることに思いあたりました。

これこそ『生きたる祈り』を『天地が目の前でパノラマのように見せている』のです。
単に靴を揃えるのは、道徳では入り口にすぎません。

『神社、仏閣で神仏を拝む』直接に頼むよりも『まず人に祈る』ことが、『遠いようでもっとも近いこと』をまたひとつ学びました。ありがとうございます。やります!
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