天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

6/10 神のみ声

2018-06-10 07:44:16 | 信仰


とらわれるなよ、悩むなよ、こだわるなよ。

荷物を重く感じるあなたよ。
頭が下がって、目線も下がっていませんか?

気持ちを明朗に、大きな声で快活に、切り替えて、目線を高く

もうそれは救われた姿です。

神様は慈悲の手をさしのべられるのです。

天に真似して、地の恵みに感謝。

その明朗快活から、幸福も健康も生まれるのです。

合掌
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6/9 信仰の原動力

2018-06-09 10:24:54 | 信仰


自分を中心に物を考えるのは、自己を守るためやむを得ない本能かもしれません。
そこを信仰のちからで、方向転換できたらいいですね。

あくせくしたから、走り回ったからといって、うまく物事は運ばないものです。

結果を求めず、
次の瞬間を気にせず、
今に全力を尽くし、
あとは、自然にお任せし、
気にかけないことです。

そこに、願わずして目的を遂げる道が待っています。

神様に預けた思い、委ねた思いを、取り戻してはなりませんよ。
事態はもっと、ひどくなります。

人様のために家族のために尽くしていくことで、
喜びは神の慈悲の恵みとなり、無限の道に繋がるのです。

大きな視野に立てば、人様への奉仕こそ原動力かもしれません。

合掌

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5/8 明朗生活

2018-06-08 21:43:02 | 運命と生活


目標は、喜びと笑顔です。
必ず結論はここに着地するけど、以外と皆さん軽く受け止めるいるように見受けます。

どんなに素晴らしいみ教えでも、その人の固い顔が崩れて笑顔にならないかぎり、救われません。
喜びという心の動きと、笑顔という身体の表現力と、
この二つで、日常生活の明朗化といいます。

何よりも、明朗なる生活感情こそは、まず確立されなければなりません。
でなこれば、幸せの門は開けないのです。

明朗生活は、生涯の大切です。
何よりも勝るのです。

寄り付きやすい人になりましょう。
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5/7 改善の山

2018-06-07 11:04:35 | 信仰


信仰の道は、助かるという肉体に限定した言葉は使いません。
心も肉体も、人生の方向すら見えてくる「救われる」と言います。
神様は 、そこに行き着いてほしいと願われています。
神達に、自ら自分自身を助け救う霊力を、私たちは授けていただいているのです。

道に生き、意義ある人生のなかに幸せを求める私達は、
考え方の大転換しようと努力しています。

改善が、うまくいかないこともあります。
反省ばかりで、投げ出してしまいたい時もあります。

でも、祈りで力はついているんです。

改善の努力こそが、心中の師匠、先生です。

祈りと奉仕に連れられて、改善の山を共に登りませんか!

頂上には、想像を越える喜びがまっているでしょう。

合掌
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6/6 自ら助かる

2018-06-06 19:35:40 | 運命の原理


貴方の身体も心も、あなたのものですね。

あなたの喜びも、悲しみも、幸福も、不幸も、
そして、健康も、病気も、一切あなたが作りだしたものです。

もし仮に、不幸病気に悩むあなたであるならば、
自分の生き方を見つめて、悩みの原因を発見して下さい。
その悩みの原因の中に、自分の過ちを見つけて下さい。
自から助かるとは、変わる努力を傾ける事です。

反省、懺悔、改善、向上。
この道の実践すべき、信仰上の要諦です。

この道筋こそ、自ら神に救われる道です。

助かるとは肉体の助かり

救われるとは心身ともに健やかに、人生が開かれることです。

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6/5 信仰と自力

2018-06-05 12:44:40 | 運命と病


昨日に続き、旧本部のことです。

かつて御神尊様は、平戸によくいかれてました。
平戸の御行に入る以前のことです。

脊髄カリエスの男性が、噂を聞いて御神尊様を頼ってきたことがありました。

しかし御神尊様は、家の中にあげようとはされませんでした。
毎日お願いにくるのですが、上がれといわれないのです。
とうとう一週間たち、さすがにこの青年も我慢できず、
もう、頼まん、自分でなおす、‼️と、すごい剣幕で玄関をでようとしたとき、
奥の部屋から、気に入った‼️上がってこい。と御神尊様の声がかかりました。

当時は旧態信仰でご祈祷で助けておられました。

青年は、驚きとよろこびのなかに、
その祈りで、背中の病巣の破れ血膿が飛び出し、
近くの店買いに行っても、綿花、ガーゼがたらないほどでした。

元気になったその青年は、小西さんといいました。
やがて朝鮮にわたり、仕事をしていました。
戦争のなかで日本に帰ってきたのですが、
敗戦のどさくさで、いつのまにか御神尊様とのご縁は遠のいていきました。
そして年令をかさねるうちに、また病魔におかされ、血圧のため半身不随となりました。

当時原田の地元では、御神尊様は評判の方でした。
信徒の方とのご縁で原田にやってきたのです。
死に物狂いで受講したのです。
昔は講堂のうしろに布団を敷いて、病人さんは寝ておられました。
小西さんも、そのようにしていました。

やがて、御神尊様がおすがりに現れたとき、鋭いまなざしで受講生を見渡された瞬間❗️
小西きていたかっ!と気合いのような声が飛びました。
すると、講堂のうしろから、よろよろ、と立ち上がった小西さんは、
なんと、半身不随のからだで、御神尊様の前まで自力で歩いたのです。

満場、感動と感激の嵐、
大先生すみません。
小西さんのなかでは、昔の大先生のまま、
ひと声かけられただけで身体に電流がはしり、
脊髄カリエスのあの時代に、タイムスリップしたのでしょう。

平戸は、「心は運命の製造者、生活は運命の製造所の大原理」が発見されたところ、
小西さんの即決から見て、厳しい行と臨床実験のなかで、病苦から解放される真理を確立されるのです。

御神尊様は、その頃のことを思い出しては、「厳しくあたりすまなかった」と涙されておられました。
沿革史上にあらわれた小西さんを知ることは、私の信仰にひかりを与えてくれました。

御神尊様は、「自ら運命を開拓する、強い気力がない者は、たすけようがない」と言われました。

合掌
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6/4 子供のごとく

2018-06-04 16:28:40 | 運命と病


昭和30年代、旧本部の講習に、長崎の受講生がいました。
初めて来られたようで、何となく落ち着きがありません。
手には痛々しく、包帯が巻かれていました。

その時のみ教えは、「子供のごとくあれ」でした。

2日目が終わり、その方が風呂に入ってるときに、本庁の先生に尋ねました。

「子供のようになるには、どうしたらいいんでしょう?」

答えは、子供は素直だもんね。
ところで貴方のそのあげている手はどうしたの?

「お湯に濡れないようにしているのです。」

子供は、そんなに心配しますか?
子供はどうする?
何にも考えずにつけますね。

そうでしょうね?
その話を聞いて、素直に手をお湯に浸けてしまいました。

衛生面の話はおいといて、それをきっかけに包帯をとり、
朝は顔を両手であらい、みるみる病気のとらわれから解放され、
膿もとまり、どんどん良くなっていきました。

その病気は、脱疽という難病でした。
指先から腐っていく病気です。
榎本健一という喜劇役者が、脱疽で両足を切断しています。

その受講生に、何で子供になれを信じて、風呂のなかに手をつけたの?と聞いたところ、
御神尊様が受講生のなかを廻られたとき、その方の手を見て、どうしたのか?と聞かれました。

脱疽です❗️というと、
突然両手に腐り行く手を挟み、辛かったろう、苦しかったろう!と
大粒の涙を流されたそうです。

腐れて汁がでて、みんな逃げて避ける病気なのに、この方は頬づりをしてくださった。

よし!このかたについていく。
この方の言われる通りにしていくんだ。と決心したそうです。

その悟りが道を開き、病気即決を頂きました。
そして、笑いを忘れた人生を取り戻したことが、最も大切でした。

今泣いたカラスがもう笑う!
子供は、純粋無垢。
神様の願いが、直ぐに届きます。

合掌


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6/3 神のご意志

2018-06-03 21:38:06 | 神と人


祈りの目的は、神のご意志に従うことです。
その神のみ心を受け取り、そのご意志を理解して実現する、強い信念を養うことです。

祈る毎日を積み重ねているからといって、自分の都合のいいように理解してはダメです。
神様にお許しいただいたと、勝手な方向に向かってはなりません。

神様のご意志は、祈りそのものにあるのではありません。
祈りによって、何をなすべきかを掴むためです。

神様の教えは
明るく、柔らかく、優しくを身に付ける、信念養成のためにあるのです。

祈りすぎて、
日常生活から、笑顔が消えることもあります。
言葉が偉そうに、上から目線になることもあります。
祈れば、祈るほど、人との間が切れて離れていく事もあります。

これは、神様が最も悲しむ姿です。
そんなこと、たのんだかなあ? と、言われそうです。

祈れば、祈るほど、柔らかく寄り付きやすく、にこやかになってください。
これでこそ、明るい未来が見えてくるのです。

「神からの縦の教えを、横の人間関係に伸ばして広げましょう!」

祈りは、家族や皆さんとともに、
生き活き生活を実現するためのエネルギー源なのです。

合掌

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6/2 心の美点

2018-06-02 10:14:11 | 運命と心


相手をその気で見れば、かならず良いところがあるはずです。

良い悪いを、好き嫌い!と、すり替えてしまうはいけないのです。

欠点は、すぐに目につきます。
そこから不和が生まれるのです。

相手の美点を見つけて、誉める。
相手を喜ばせ、自信を持たせる。
そして、自分の心を浄化することができるのです。

それは、心の美点と言えるのです。

互いの美点を再発見し、
総ての人と円満に日暮しすること。

合掌
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6/1 人を裁く苦い薬

2018-06-02 08:14:25 | 運命と生活


私たちは、人と仲良く暮らすことが、いかに大切かよくわかっているのです。

ところが、
虫が好かない!というか、性があわない!というか、
どうしても仲良く出来ない相手が、一人やふたりあるものですね。

金銭に恵まれ無くても、なんとか暮らしていけますが、
仲良くやらねばならない人とうまくいかず、不和があれば不愉快で
暮らしていくのが嫌になります。

では、そんな時どうすれば良いのでしょうか。

相手が悪い、相手を変えようという考えを改めてみることです。
自分が悪かったと思えないのが、人間。
まず人を変えようと考えます。
うまく行かないのはあの人のせいと、責任をなすりつけようとします。

相手は、自分自身の反映です。
鏡みたいなものです。

おのが心を裁くとは、キツイ表現ですが、
幸せの道は、自分の見方を先に変える事です。
自分にしてもらいたいことを、先にしてあげれば、楽ですね。
素晴らしいです。

人を裁くのは、苦い薬‼️

合掌
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