オーク材の傷だらけのカウンター、手前の丸みを手の腹で包み込むようにしながら、小さく行ったり来たりゆっくりと撫でる。塗り重ねられたニスの剥れが、そのまま色を落ち着かせている。
目の前に置かれた皮のコースター、テイスティンググラスの古びた琥珀色は、その色が褪せる事はない。チェイサーのグラスは、アイスで冷やされカウンター上の止まりかけた時間を含む空気は、そのグラスの肌にぷつぷつと含んだ水分をはじき出させていく。
「時間は、増えもしなければ、減りもしないのだから、どうにもならないものに執着し続けないで、もう少し自分がどこに向かいたいのかを見詰め直すべきよ。」
長いこと会う事ができなかった古い友達。久々に逢っても、その間の時差は感じることはない。それが妙み心地よく、なにより嬉しかった。
「今は無理でも、ある程度の時間はちゃんとはかっておくべきだと思う。一日、一日、確実に年を重ねていくのだから。今ならできることも、あと3年、あと5年後には、不可能になることがたくさんでてくる。その時になって、足掻いたとしてももうどうすることも出来ないかもしれない。」
確実に明確に、私に意見してくれるのは、どこか似た匂いを感じ続けているせいなのだろう。
小さな小窓の付いた木のドアは、三階までまっすぐに伸びる階段の、踊り場のような二階に、その姿をひっそりと隠すように備え付けられていた。
人を拒むでもなく、人を受け入れるでもなく、ただそこにそのドアはあった。
小窓からは、セピア色のほんの少しだけくすんだ灯が漏れていた。
はじめてあけるそのドアの向こうには、すっと時間を沈み込ませるような小さな空間が座っていた。6人も一度に座ってしまったら、そこは戦場に変わるかも知れないような、まっすぐなカウンター。その中には、落ち着いたそれぞれの個性を、静かに主張するバーテンダーが二人。沈みこませた時間を、決して浮きただせることはどんなことをしてもない。
「仇をそんなふうにとってはいけないのよ。いくら緩めることができない柵だと思っていても、案外簡単にはずすことが出来るものなのかもしれない。」
数年前、振り払うことのできないものを、自らの断固なる意思で振り払った強さがのほほんとしたその顔から覗く。茜色が、カウンターに一体化するように、細長いグラスの中の細かい泡が、下から上にといつまでも無数にその数は数えられることなくその中を遊ぶ。忌憚なく彼女の口からでてくるその言葉は、私を突き刺すそのものではなく、私の中にある既に突き刺さっている棘のその尖った先を、グラスの中のアイスのようにぶつかりながら丸くしていく。
久しぶりのゆったりとした友との時間に、半月前『早く帰ってきて』のSOSメールを忘れてしまった。行き詰ったものは、分厚い鉄の壁ではなく、払いきれない柵だけだったのだろうか?日に何度も交わすときがあるメール。液晶にはじき出され、羅列していく文字だけのやり取りであっても、すくわれていくものがあるというのに、耳に届く声はなんて優しさや思いやりを、短く的確にすばやくしみこませるのか。バーテンダーの背にある棚に、様々な色と形の瓶が並ぶ。人の想いもその瓶のように、高く、低く、円く、長く、短く、様々な姿のまま、自己主張のごとく心の棚に並んでいるのだろう。
カウンターの奥で時間の流れを見ている二人。砕かれるアイスに彩がのせられる。奥の小さなたったひとつの窓は、ほんの少しだけそのガラスは重ねられ、その隙間からは隣のビルの雨にぬれる灰色の壁だけが見える。
「私達って幸せだわ。だれも私達に『大変でしょ。』なんて言ってくれないもの。『いいわねぇ。』って何を根拠に言われるのかわからないけれど、人はそう言ってくれるわ。」
日曜の夜、静かな雨はぬらす街も静かにしていくものなのかもしれない。テイスティンググラスの、たったワンショットのストレートの液体は、すでにそのグラスの底にほんのりと色を残すだけになった。
コースターのふちを指でたどりながら、グラスの中の色をかけてカウンターの中を覗く。ひとつひとつの刻まれた傷に、ひとつひとつの想いがあるとしたら、ここに座った人はどれだけの想いをここに刻み付けていったのだろう。
余分な言葉は何ひとつ言わない、真っ白なワイシャツと黒いベスト。きっちりと結ばれたネクタイは、リズミカルに振られるシェイカーとともに踊ることはない。差し出されるグラスと、言葉のない会話。少しの酔いとふるい友達の言葉によって、解け出たものを、私もカウンターについた、小さなひとつの傷の中に塗りこんでいた。開いたドアから、少し肌寒く感じる風が吹き込み、外の雨の匂いを運んできた。
目の前に置かれた皮のコースター、テイスティンググラスの古びた琥珀色は、その色が褪せる事はない。チェイサーのグラスは、アイスで冷やされカウンター上の止まりかけた時間を含む空気は、そのグラスの肌にぷつぷつと含んだ水分をはじき出させていく。
「時間は、増えもしなければ、減りもしないのだから、どうにもならないものに執着し続けないで、もう少し自分がどこに向かいたいのかを見詰め直すべきよ。」
長いこと会う事ができなかった古い友達。久々に逢っても、その間の時差は感じることはない。それが妙み心地よく、なにより嬉しかった。
「今は無理でも、ある程度の時間はちゃんとはかっておくべきだと思う。一日、一日、確実に年を重ねていくのだから。今ならできることも、あと3年、あと5年後には、不可能になることがたくさんでてくる。その時になって、足掻いたとしてももうどうすることも出来ないかもしれない。」
確実に明確に、私に意見してくれるのは、どこか似た匂いを感じ続けているせいなのだろう。
小さな小窓の付いた木のドアは、三階までまっすぐに伸びる階段の、踊り場のような二階に、その姿をひっそりと隠すように備え付けられていた。
人を拒むでもなく、人を受け入れるでもなく、ただそこにそのドアはあった。
小窓からは、セピア色のほんの少しだけくすんだ灯が漏れていた。
はじめてあけるそのドアの向こうには、すっと時間を沈み込ませるような小さな空間が座っていた。6人も一度に座ってしまったら、そこは戦場に変わるかも知れないような、まっすぐなカウンター。その中には、落ち着いたそれぞれの個性を、静かに主張するバーテンダーが二人。沈みこませた時間を、決して浮きただせることはどんなことをしてもない。
「仇をそんなふうにとってはいけないのよ。いくら緩めることができない柵だと思っていても、案外簡単にはずすことが出来るものなのかもしれない。」
数年前、振り払うことのできないものを、自らの断固なる意思で振り払った強さがのほほんとしたその顔から覗く。茜色が、カウンターに一体化するように、細長いグラスの中の細かい泡が、下から上にといつまでも無数にその数は数えられることなくその中を遊ぶ。忌憚なく彼女の口からでてくるその言葉は、私を突き刺すそのものではなく、私の中にある既に突き刺さっている棘のその尖った先を、グラスの中のアイスのようにぶつかりながら丸くしていく。
久しぶりのゆったりとした友との時間に、半月前『早く帰ってきて』のSOSメールを忘れてしまった。行き詰ったものは、分厚い鉄の壁ではなく、払いきれない柵だけだったのだろうか?日に何度も交わすときがあるメール。液晶にはじき出され、羅列していく文字だけのやり取りであっても、すくわれていくものがあるというのに、耳に届く声はなんて優しさや思いやりを、短く的確にすばやくしみこませるのか。バーテンダーの背にある棚に、様々な色と形の瓶が並ぶ。人の想いもその瓶のように、高く、低く、円く、長く、短く、様々な姿のまま、自己主張のごとく心の棚に並んでいるのだろう。
カウンターの奥で時間の流れを見ている二人。砕かれるアイスに彩がのせられる。奥の小さなたったひとつの窓は、ほんの少しだけそのガラスは重ねられ、その隙間からは隣のビルの雨にぬれる灰色の壁だけが見える。
「私達って幸せだわ。だれも私達に『大変でしょ。』なんて言ってくれないもの。『いいわねぇ。』って何を根拠に言われるのかわからないけれど、人はそう言ってくれるわ。」
日曜の夜、静かな雨はぬらす街も静かにしていくものなのかもしれない。テイスティンググラスの、たったワンショットのストレートの液体は、すでにそのグラスの底にほんのりと色を残すだけになった。
コースターのふちを指でたどりながら、グラスの中の色をかけてカウンターの中を覗く。ひとつひとつの刻まれた傷に、ひとつひとつの想いがあるとしたら、ここに座った人はどれだけの想いをここに刻み付けていったのだろう。
余分な言葉は何ひとつ言わない、真っ白なワイシャツと黒いベスト。きっちりと結ばれたネクタイは、リズミカルに振られるシェイカーとともに踊ることはない。差し出されるグラスと、言葉のない会話。少しの酔いとふるい友達の言葉によって、解け出たものを、私もカウンターについた、小さなひとつの傷の中に塗りこんでいた。開いたドアから、少し肌寒く感じる風が吹き込み、外の雨の匂いを運んできた。
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