アンコール・ワット(2)・・・カンボジアの誇りと哀しみ
クメール帝国として12世紀に最盛期を迎えたアンコール王朝も、クメール人の平和への願いにも拘らず、15世紀、シャム軍(タイ)の侵攻で、都を放棄し、その後400年以上、その荘厳な宮殿や、巧緻な石像や壁画とともに、森の中に眠り続けることになります。19世紀にフランスの植民地になったことで、フランス博物学者によって発見?され、神々しい姿は、世界中に知られるようになりました。しかし、地元ガイドさんに言わせると、こちらの人々は代々その存在を知っていたわけで、発見ではないと不満気でしたが、なるほど同感です。(もっとも、私のような観光客が、これらの遺跡を目にできるのも、世に知られるようになったお陰ですが・・・)
他の東南アジア諸国がそうであったように、カンボジアも、フランスの次は、日本の占領下となり、第二次大戦後も大国の思惑の中で、翻弄されていきます。そして、1975年、当時、親米政権を打倒したポルポトによる偏狂的ともいえる社会主義政策が断行されるわけです。鎖国、教育の廃止、文化宗教歴史の否定、強制集団生活が進められ、映画「キリング・フィールド(killing field)」で知られた有識者の大量虐殺が行われました。その数はポルポト政権下のわずか4年間で150万人以上、国民の4人に1人とも言われます。 今回の旅行中、街で老人を見かけることが少なかったのですが、ガイドさんによると、「実際当時、多くの知識層、年配者が殺されて年寄りはいない。」と、淡々と答えてくれました。
カンボジアが政治的に安定したのは、ソ連の崩壊から東西冷戦が終結した後、国連の指導下で民主的な政治が行われるになってからですから、漸くここ10年ほどでしょう。まだ農業以外にはこれといった産業が育たず、簡単な日常品でさえも、多くが輸入されています。それだけに観光は国の基幹産業であり、まさにアンコール遺跡は今でもカンボジアの誇りだけではなく、実質的にも宝なのです。カンボジア国旗の中に描かれたアンコール・ワットは、古い歴史を持った若い国の未来への象徴なのでしょう。
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