最近人並みに‘肩こり’という症状を実感しています。職業上、当然といえば当然ですが、長時間集中して細かい動作をすることが多いことに加え、年初から学会の準備に、依頼された論文と重なり私の‘弱(やわ)肩’もついに悲鳴を上げたようです。しかし、周囲を見渡すと諸先輩の医師からまだ若い看護師さんまで実に多くの人が肩こりの悩みを抱えていることに気づきます。むしろこの年まで意識せずに来た私は遅ればせながらの仲間入りと言えるかも知れません(喜ぶことではありませんが・・・)
日本人の国民病とまで言われる‘肩こり’ですが、実際 成人の7割から8割がこり症状を経験しているという報告を見ると満更大げさではないようです。確かに「肩が凝る」という言葉は明治の文豪 夏目漱石が小説「門」で使用したのが初めてと言われますが、それ以前は「肩こり」自体がなかったわけではないでしょう。しかし外国人に英語や他の言語でこの「肩こり」を説明しようとすると意外に容易ではないことを実感するのは、単純にぴったり当てはまる単語や言語的な表現の問題だけではなく、人種による筋骨格構造の違い、生活習慣や文化的な違いから肩こり症状が発現し易さが異なるとも考えられます。日本ほどではないにしろ体格や生活習慣、環境因子が似ている韓国ではどうかというと、オケ(肩)がキョルリダ(引きつって痛む)、オケがポグナダ(重苦しい、だるい)などの表現は比較的よく使われるところから、やはり日韓では近い感覚があるようです。ただ、日本に来て「肩こり」という言葉を知り、かつ周囲にそのような症状の日本人が多いことから、いつの間にか自分も肩が凝るようになった?という韓国人の話を聞くと、肩こりに関しては日本の国民病という地位はいまのところ不動かも知れません。
肩こりは、直立歩行をすることで、人類が重い頭を支える首、肩の骨、筋肉への負荷が掛かるようになったため起きるものです。特にデスクワークなど長時間一定の姿勢を続けることが多い現代人の文明病ともいえます。しかしスマホの普及率世界一となった韓国が、若い人を中心に肩こりが増加している状況は気になります。
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