先週、新政権発足後初めて米国のオバマ大統領の仲裁という形ではあるものの、日韓の首脳が直接顔を合わせました。議題は北朝鮮に対する3か国の連携強化を中心とした内容であり、現在両国間が抱える歴史・領土問題には一切触れるものではありません。しかし、隣国のリーダーが単純に会うことさえままならない異常な状況から考えると大きな一歩ともいえます。外交とは自国の国益を基盤とした国際関係の政治的交渉とも定義されますから、個人的なお付き合いとは異なるものですが、そこはまた人間同士。会見で安倍総理は「朴槿恵大統領 マンナソ パンガプスムニダ!(お会いできて嬉しいです)」と韓国語でアピールを試みた心情も評価できなくはありません。しかし当の朴槿恵大統領の反応は冷ややかなものであり、意地悪な言い方をすれば簡単な韓国語の挨拶を覚えて韓国に遊びに行った男性像と映らずでもない感じです。
朴大統領の心中は無論わかりませんが、今回の核安全保障サミットが開催されたオランダ・ハーグは、今から107年前 韓国にとって屈辱的な出来事「ハーグ密使事件」が起きた場所であることは当然意識されていると思います。日露戦争に勝利した日本は、1905年11月、第2次日韓協約を結んで、大韓帝国を保護国化し、韓国統監をおいて外交権を接収します。これに対し韓国皇帝の高宗は、1907年6月15日、オランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に皇帝の密使を直接派遣し、列強に条約の無効を訴えようとしますが、出席していた列強諸国は大韓帝国の外交権が日本にあること、大韓帝国の利益は条約によって日本政府が代表していることなどを理由に、三人の会議出席を拒絶。そこで、密使たちは会議場の外でビラ撒きなどの抗議行動を行いますが相手にされず、密使の一人李儁(イ・ジュン)はハーグの地で無念の中で亡くなります。自殺か病死か今でも死因ははっきりしていません。この事件に対し日本は韓国を強く非難し、高宗は譲位を余儀なくされ、息子の純宗が皇帝として即位します。さらに続いて第3次日韓協約が調印され、韓国は内政面でも日本の韓国統監の管轄下におかれることになります。
随分前のことですが、知り合いの教授が招待された学会で韓国語によるスピーチがしたいと、翻訳と発音指導を頼まれたことがありました。結構な長さの文章で、招待の感謝とともに日韓友好を訴えた内容であったと記憶しています。一生懸命練習して披露したところ拍手喝采、スタンディングオべーションで迎えられたと大満足でした。この場合は当然です。
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