今年の1月に理研の若き研究者により英国Nature誌に 発表された論文は世界中の科学者を驚かせました。その論文でSTAPと名付けられた細胞は「 動物の体は分化した細胞でできており、一度分化した体細胞が別の組織の細胞になることはない。よって分化した細胞が再び多能性を持つようになる‛初期化’は起こり得ない」という今までの常識を覆すものであったからです。私も医学臨床に携わる端くれとしては、今回の研究が秘めた将来の可能性に関し少なからず期待した一人です。反面、それだけ興味深い出来事にも拘らずこの欄で直ぐにテーマとしてとりあげることに少し躊躇ったのは、論文発表直後から世界中の研究者から指摘され始めた幾つかの疑義や意見には一切触れられていなかった為です。
結局論文は2か月もたたずに取り下げられる方向に進んでいます。画期的な研究であった反面、短期間での騒動であったこと、ヒト細胞での可能性は未知数であり臨床的にもまだまだこれからの分野であることから他の研究への影響は大きくないかも知れません。しかし、今後の調査結果次第では、一時は韓国初のノーベル賞候補と騒がれた元ソウル大学教授によるES細胞の研究に纏わるねつ造事件のように国の再生医療界全体に長く影を落とすことにも繋がりかねません。指導的立場にもあったであろう共同執筆者や理研の調査委員の会見を聞くと何か他人ごとで「未熟な研究者の焦りからくる勇み足」として、すべての責任を一人に押し付けて収束を図ろうとしているかとも感じてしまいます。ニューヨーク大学の物理学教授アラン・ソーカルは研究者によって偽物が見抜かれるかどうかを試す目的で、いかにも難解な数式と科学用語を並べた出鱈目な論文を当時著名な社会科学雑誌に投稿したところ編集者のチェックを通過して掲載されました(ソーカル事件、1995)。若い科学徒達にしっかりした倫理観や科学的思考を教育することも大切ですが、時に様々な利権、思惑が関与しうる研究であればこそ厳しいチェック体制が求めらるでしょう。
一般的に科学者の評価は「著名な専門誌にどれだけ多くの論文を発表したか」です。そして熾烈な競争の中で成果を出すべく常にプレッシャーに晒されているとも言えます。時に自分の望む結論に合うデーターを意図的に選択したい衝動に駆られるでしょう。「無知を恐れるな。偽りの知識を恐れよ。(パスカル)」 誘惑との戦いに勝てる強さは今も昔も優れた科学者の条件です。
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