美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

死生観と生死観

2013-12-03 15:19:52 | Weblog

 

 暫し生死の淵から生還した人の口から語られる臨死体験は、私たちには非常に興味深いものです。なぜなら、死は全ての人間がいつか必ず訪れるものでありながら、死後については誰も説明することができないからです。「この世」の先に「あの世」が存在するならば、死にたいする恐怖や不安、死別の悲しみを癒してくれる一筋の光でもあり、多くの臨死体験はその存在の可能性を示唆するともいえます。反面、世界中の科学者は、何とか医学的な解明しようと研究を進めています。最近も、ミシガン大学の医学チームが、ラットをもちいた研究から、脳は血流が停止した後も30秒程度活動を続け、この時の脳内の電気活動は通常の覚醒状態のレベルを上まっていることを発見しました。あくまでも動物実験による脳波の電流変化から解析したものですが、心停止した多くの患者さんが語る臨死体験を説明する鍵になると考えられます。

 臨死体験の研究が人々に希望を与えるかどうかは別として、死に対する考え方は国や文化によっても異なるものです。儒教的の価値観の影響を強く受けた韓国では、人は死ぬと精神部分(魂)と肉体部分(魄)が分離し、魂は天に魄は地下にいくと考え、両者が再び一つになれば生き返ることができる為、昔は全て土葬にしました。これは、あくまでも生が基本であり、死を否定的な生死観ともみなされます。日本では、仏教、神道の思想から、死ねば何人も 仏、神になるため生前の肉体や行いは消滅し、安息が得られるといった死生観を持つとされます。靖国神社に祭られている人々も、生前の行いがどうであれ平等に神になったと解釈するのもこの論理からです。

 死を可逆的なものと見做すのも、生の延長上にある別の世界と考えるのも、生きている人間が死に対処する様々な精神的処方箋ですが、過去から今に至るまで完璧な特効薬はありません。ただ一つ言えることは、戦い打ち勝つのではなく、理解しどう受け入れるかを問う相手であるのようです。

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