2000年以降、特にここ数年の韓国エンターテイメント分野における目覚しい成果は特筆すべきであろう。ポップミュージック界ではBTSが世界的な、それも頂点を極める勢いの人気、評価を受け、映画界は昨年のアカデミ―賞作品賞、今年度は助演女優賞を獲得、そしてドラマでは動画配信サービスの流れに乗って全世界で視聴者数トップの作品を連発している。この現状を、日本のメディアでは「エンターテイメント産業育成を掲げて国策としての戦略の結果」との論調がよく見受ける。勿論、何らかの政策的な試みはあるにしても、果たしてそれだけで説明できるものか?国によるサポートはあるに越したことはない。しかし、それで世界的アーティストが誕生し、人々の心を捉える映画、ドラマ作品が次々生まるとは限らない。それらとは別に、国を越えて多くの人々を惹きつける何か、韓流コンテンツの歌やダンス、映画やドラマに内包するプラスアルファとしての‘ファクターX’は何だろうか。私なりに思い巡らした結果、その一つと考えているのが、家族(時には親しい仲間、友人、異性)に対する「高純度の執着心」ではないかと。
少し前にアメリカのピュー研究所の調査報告がある日本の雑誌で紹介されたが、少し意外な結果であった。17国を対象に「人生を意味のあるものにするものは何か?」のアンケートに関して様々な角度分析したものだが、17ヵ国中14ヵ国が「家族」を第一に挙げたが、唯一韓国人は「物質的な豊かさ」という回答が最も多かった。しかし、この調査結果をもって、韓国では家族を重要視していないという主張はミスリードと私は考える。報告書をよく読んでみると、複数の回答が多かった国では「物質的豊かさ」の割合は韓国より高い国も多かった。逆に韓国は回答項目が少なく、同程度の比率の中で若干「物質的な豊かさ」が「家族」「健康」を上回った結果だ。さらに個人的な解釈を加えると、韓国人にとって家族は「人生を意味あるもの云々」以前に切っても切り離せないものであり、あえて項目として挙げるまでもない存在ではないか。
今回紹介する映画「声もなく」は、貧困から犯罪組織の下請け仕事をする口のきけない青年テイン(ユ・アイン)と片足が不自由な中年男チャンボク(ユ・ジェミョン)のコンビが、見知らぬ少女チョヒ(ムン・スンア)を一時預かった事から誘拐事件に巻き込まれる話だ。映画では障がい者を取り巻く環境や貧困、男尊女卑の価値観、人身売買など、韓国社会にある様々な問題が垣間見える。しかし、本作品で初長編映画デビューを果たした82年生まれの女性監督ホン・ウイジョンが自らのオリジナル脚本のもと描きたかったものは何か。監督が最初に考えたタイトルは「Without a Sound(声もなく)、We become Monsters(怪物になる)」であった。「極限の状況下では生き残るために人は静かに怪物になることもある」という意味だろう。しかしそれは即ち、人が人であり続ける為に大切なものが結局「家族の絆」という事はないか。またこの映画は、「バーニング劇場版(18)」ドラマ「地獄が呼んでいる」など、今や世界的な知名度を得た韓国屈指スター俳優ユ・アインが15㎏も増量して若いホン・ウイジョン監督とタッグを組んで熱演したことでも話題となった。実際公開されるや、韓国で最も権威のある清龍賞の新人監督賞や主演男優賞をはじめ、百想芸術大賞の監督賞、最優秀演技賞など数々の映画賞を席巻することとなる。
社会の底辺でも己の環境の中で、生存すべく精一杯ももがいている人々の物語であるが、映画全般に漂うユーモアと不思議な温かみは映画「パラサイト 半地下の家族」にも共通する感覚だ。「喜怒哀楽の総量が人生を豊かにする」という言葉がある。「家族への執着心」というキーワードに加えてもう一つの韓国作品の秘密のスパイスではないだろうか
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます