どうしよかな、書こうかな、やめとこかな
っと考えましたが。
やっぱり正直に書こうと思ったので。
実は5月中旬から入院してました。
26日に退院したとこです。
一体なにがあったのかっていうと、
前の夜からなんか体の左半分がふわふわして麻酔でも打ったみたいな変な感覚でした。
明日病院いってみよか、程度だったのが次の日朝起きたらちゃんと歩けない。なんとか会社に行って午後からでも休もうかと思って仕事につくと。。
字がかけない(あたし左ききなもんで)
それがわかったとたん、血がすーっとひいたかんじで
会社のおっちゃんも足が変なのは気になるし、すぐ病院行き、って言われたので帰らせてもらいました。
江坂にある総合病院にいったんだけどそこではCTとってもわかんなくて先生の紹介で(財)大阪脳神経外科病院へ
即タクシーにのせられました。
病院につくと車いすにのっけられて先生のところへ。
改めてCTとったりMRIとったりいろいろして、言われたのが
「脳梗塞になってますね」
のーこーそく。
病気の名前は何度もきいたことあるけど正直自分がなる病気としてはもっと年とってからとかじゃないか程度に
つまり縁遠いものって思ってました。
正直あたしの年代では男性の方がかかりやすいので女性でなるのは珍しいんだけど、と先生もおっしゃってましたが
とにかく、1、2週間は様子みないと、検査もしないといけないし、
「入院ですね」
「にゅういん?ここでですか?」
「そうそう」
「どのくらいですか?」
「1、2週間はいてもらわないと」
「じゃあ、準備してきます」
「いやいやこのまま入院ですよ、帰れませんよ」
とゆわけであっというまの入院でした。
実家に連絡してもらって夜母りょうこが来てくれてそれからばたばたと手続きしてました。
あたしはというと両腕に点滴打たれて寝たまま。
入院て子供の頃の小児喘息以来なので自分で意識しての入院は実質初めて。子供の頃から入院はしてるから病院が怖いということはないけど
なんか
あーあたし大変なことになったかも。。
って思いました。
脳梗塞についてはまだ全然知識がなくて「ミスチルの桜井さんてなったけど復帰したよな」とか結構軽く考えてました。
なにせ動かないのは左手と左足だったから頭は元気。
とにかく派遣会社と今いってる会社に連絡して2週間入院しますと報告してもらったので
「こりゃクビやな」と思いました。
せっかく気楽でいい仕事場だったのにな。
っていうがっくりと利き腕の左が字もかけない状態なのがきつかった
翌日になって個室にいれてもらいました。
おかげで他の人に気を使わなくて住むし、トイレも室内にあるし
夜眠れなくてもテレビつけたり電気つけてていいし
入院中はそういうストレスがなかったのがなによりでした。
看護士さんたちもみんないい方ばっかりで入院中の不安とかは一切なかった。
お食事も特に味がうすいってわけでもなくごはんたっぷりだし。
こんなにたっぷり。
それから右腕からカテーテルをいれて血液をしらべる検査もしました。造影剤っていうのを入れて検査するんだけど
麻酔してても腕になんかはいってくるのはわかるし、造影剤が入ると頭の後ろのほうがずわーっと熱くなるし正直やな検査でした。
でも足からカテーテルをいれてたら検査後安静でトイレも食事も介助してもらわないといけなかったみたい。
腕からだとお医者さんが難しいんだそうです。
でも腕からやってもらうと患者さんは検査後そこだけ数時間うごかせないだけなので食事もトイレも自分でできるから気持ちの負担が全然違うのです。
父てつじは本を買ってきてくれたし、りょうこはなにかと様子みに来てくれたけど、タイミング良く新型インフルエンザが流行りだして
面会自粛と言われてました。
あたしはというと看護士さんに「逆に入院してるほうが安全よ」
と言われながら病院の中で毎日ニュースみてました。
一日中病室にいたんだけどケータイが使えた。
精密機器を使ってなかったので。
そのおかげで友達からメールもらって元気づけてもらえたりしたのが
一番よかったのかもです。
毎日ちょっとずつ病室で歩いたり、ノート買ってもらって字を書いたりしてなんとか徐々に動くようになってきた。
検査結果も血液とか他は全く問題がなくて、脳梗塞なだけ(なだけってなんだよ)というのでしばらく血をさらさらにする薬を飲む事に。
実はあたし血圧が高めだったのです。日ごろから測ってたわけじゃないから知らなかったんだけど。
これは遺伝らしくて栄養士さんから血圧を下げるために気をつける事をお勉強しました。
とにかく塩分を減らす。
減らすと食べ物の味が物足りなくなるけど、お酢やレモン、スパイスなどで味にアクセントをつけながら食べれば大丈夫。
野菜をたっぷりとる。ゆでたりすると量が減るのでたっぷり採れる。
3食食べる。
お肉もお魚も油も適度にはとらないとだめ。
量が足りないときはきのこ、こんにゃく、わかめ、ノリ等でボリュームを出す。
などを教わる。
元々レモンやお酢は好きで酢づけとか作っていたので今までより塩分を減らして作ればいいかな
野菜は入院中の食事がほとんど温野菜だったのでこれを見習って。
そうしてきっちり2週間後退院しました。
最期のおゆうはん
数日休ませていただいたあと無事にお仕事にも復帰できた。
クビにならなかったーよかった。。
退院した日は初めて両親が江坂のうちにやってきました
お昼を一緒に食べてそのまま帰って行きました。
とはいえ両親には世話いっぱいかけちゃったなあ。
正直退院したけど入院中ほとんど動いてなかったから体力はしっかり落ちちゃってまだ少しなにかしただけでもうくたくた。
左足も動いてるけどなんか感覚がまだ変です。
それでもなんとか戻ってきました。
帰ってきて病気を調べて恐ろしい病気だったんだと改めてわかって
半身不随のまま大変な毎日を過ごされている方が沢山おられるのを知ったまでです。
今回、あたしは早期発見が一番だったみたいです。
お世話になった大阪脳神経外科さんはいろんな方からきくととっても有名な病院で、全国でもトップクラスだそうです。
ここの先生が阪大や済生会なんかに出張されてるそうなので
なにかあったときにはこちらの病院をおすすめします。
ほんとにほんとにお世話になりました。
と、同時に、こうなってみないと元気にすごす毎日って大事だなと
月並みだけど思います。
まだ本格復帰というほどじゃないけど
徐々に無理せず戻して行きたいと思います。
そんな訳で塩分減らし生活開始。
前から作っていたレモン酢漬けとにんじんの甘酢漬け。
レモン酢漬けは塩分をちろっとだけいれただけ。にんじんの方はお酢を使ったので塩分はなし。はちみつの甘さで甘酸っぱく出来上がります。
これを常備食にしました。
朝はオープンサンド。
きのこたっぷりでおなかいっぱい。トマトとバナナ半分は朝なるべく食べる事にしました。
っと考えましたが。
やっぱり正直に書こうと思ったので。
実は5月中旬から入院してました。
26日に退院したとこです。
一体なにがあったのかっていうと、
前の夜からなんか体の左半分がふわふわして麻酔でも打ったみたいな変な感覚でした。
明日病院いってみよか、程度だったのが次の日朝起きたらちゃんと歩けない。なんとか会社に行って午後からでも休もうかと思って仕事につくと。。
字がかけない(あたし左ききなもんで)
それがわかったとたん、血がすーっとひいたかんじで
会社のおっちゃんも足が変なのは気になるし、すぐ病院行き、って言われたので帰らせてもらいました。
江坂にある総合病院にいったんだけどそこではCTとってもわかんなくて先生の紹介で(財)大阪脳神経外科病院へ
即タクシーにのせられました。
病院につくと車いすにのっけられて先生のところへ。
改めてCTとったりMRIとったりいろいろして、言われたのが
「脳梗塞になってますね」
のーこーそく。
病気の名前は何度もきいたことあるけど正直自分がなる病気としてはもっと年とってからとかじゃないか程度に
つまり縁遠いものって思ってました。
正直あたしの年代では男性の方がかかりやすいので女性でなるのは珍しいんだけど、と先生もおっしゃってましたが
とにかく、1、2週間は様子みないと、検査もしないといけないし、
「入院ですね」
「にゅういん?ここでですか?」
「そうそう」
「どのくらいですか?」
「1、2週間はいてもらわないと」
「じゃあ、準備してきます」
「いやいやこのまま入院ですよ、帰れませんよ」
とゆわけであっというまの入院でした。
実家に連絡してもらって夜母りょうこが来てくれてそれからばたばたと手続きしてました。
あたしはというと両腕に点滴打たれて寝たまま。
入院て子供の頃の小児喘息以来なので自分で意識しての入院は実質初めて。子供の頃から入院はしてるから病院が怖いということはないけど
なんか
あーあたし大変なことになったかも。。
って思いました。
脳梗塞についてはまだ全然知識がなくて「ミスチルの桜井さんてなったけど復帰したよな」とか結構軽く考えてました。
なにせ動かないのは左手と左足だったから頭は元気。
とにかく派遣会社と今いってる会社に連絡して2週間入院しますと報告してもらったので
「こりゃクビやな」と思いました。
せっかく気楽でいい仕事場だったのにな。
っていうがっくりと利き腕の左が字もかけない状態なのがきつかった
翌日になって個室にいれてもらいました。
おかげで他の人に気を使わなくて住むし、トイレも室内にあるし
夜眠れなくてもテレビつけたり電気つけてていいし
入院中はそういうストレスがなかったのがなによりでした。
看護士さんたちもみんないい方ばっかりで入院中の不安とかは一切なかった。
お食事も特に味がうすいってわけでもなくごはんたっぷりだし。
こんなにたっぷり。
それから右腕からカテーテルをいれて血液をしらべる検査もしました。造影剤っていうのを入れて検査するんだけど
麻酔してても腕になんかはいってくるのはわかるし、造影剤が入ると頭の後ろのほうがずわーっと熱くなるし正直やな検査でした。
でも足からカテーテルをいれてたら検査後安静でトイレも食事も介助してもらわないといけなかったみたい。
腕からだとお医者さんが難しいんだそうです。
でも腕からやってもらうと患者さんは検査後そこだけ数時間うごかせないだけなので食事もトイレも自分でできるから気持ちの負担が全然違うのです。
父てつじは本を買ってきてくれたし、りょうこはなにかと様子みに来てくれたけど、タイミング良く新型インフルエンザが流行りだして
面会自粛と言われてました。
あたしはというと看護士さんに「逆に入院してるほうが安全よ」
と言われながら病院の中で毎日ニュースみてました。
一日中病室にいたんだけどケータイが使えた。
精密機器を使ってなかったので。
そのおかげで友達からメールもらって元気づけてもらえたりしたのが
一番よかったのかもです。
東京の叔母からはお花のお見舞い
毎日ちょっとずつ病室で歩いたり、ノート買ってもらって字を書いたりしてなんとか徐々に動くようになってきた。
検査結果も血液とか他は全く問題がなくて、脳梗塞なだけ(なだけってなんだよ)というのでしばらく血をさらさらにする薬を飲む事に。
実はあたし血圧が高めだったのです。日ごろから測ってたわけじゃないから知らなかったんだけど。
これは遺伝らしくて栄養士さんから血圧を下げるために気をつける事をお勉強しました。
とにかく塩分を減らす。
減らすと食べ物の味が物足りなくなるけど、お酢やレモン、スパイスなどで味にアクセントをつけながら食べれば大丈夫。
野菜をたっぷりとる。ゆでたりすると量が減るのでたっぷり採れる。
3食食べる。
お肉もお魚も油も適度にはとらないとだめ。
量が足りないときはきのこ、こんにゃく、わかめ、ノリ等でボリュームを出す。
などを教わる。
元々レモンやお酢は好きで酢づけとか作っていたので今までより塩分を減らして作ればいいかな
野菜は入院中の食事がほとんど温野菜だったのでこれを見習って。
そうしてきっちり2週間後退院しました。
最期のおゆうはん
クビにならなかったーよかった。。
退院した日は初めて両親が江坂のうちにやってきました
お昼を一緒に食べてそのまま帰って行きました。
とはいえ両親には世話いっぱいかけちゃったなあ。
正直退院したけど入院中ほとんど動いてなかったから体力はしっかり落ちちゃってまだ少しなにかしただけでもうくたくた。
左足も動いてるけどなんか感覚がまだ変です。
それでもなんとか戻ってきました。
帰ってきて病気を調べて恐ろしい病気だったんだと改めてわかって
半身不随のまま大変な毎日を過ごされている方が沢山おられるのを知ったまでです。
今回、あたしは早期発見が一番だったみたいです。
お世話になった大阪脳神経外科さんはいろんな方からきくととっても有名な病院で、全国でもトップクラスだそうです。
ここの先生が阪大や済生会なんかに出張されてるそうなので
なにかあったときにはこちらの病院をおすすめします。
ほんとにほんとにお世話になりました。
と、同時に、こうなってみないと元気にすごす毎日って大事だなと
月並みだけど思います。
まだ本格復帰というほどじゃないけど
徐々に無理せず戻して行きたいと思います。
そんな訳で塩分減らし生活開始。
前から作っていたレモン酢漬けとにんじんの甘酢漬け。
レモン酢漬けは塩分をちろっとだけいれただけ。にんじんの方はお酢を使ったので塩分はなし。はちみつの甘さで甘酸っぱく出来上がります。
これを常備食にしました。
朝はオープンサンド。
きのこたっぷりでおなかいっぱい。トマトとバナナ半分は朝なるべく食べる事にしました。
夜はこんな感じ。
シャケは塩がしてあるので焼いただけ
野菜ときのこは蒸してポン酢+レモンを。
セロリのきんぴらはお醤油を少なめにしてしっかり炒めました
入院中、メールやお見舞いメールなどで元気づけてくれたみなさん
ほんとにありがとうございました。
シャケは塩がしてあるので焼いただけ
野菜ときのこは蒸してポン酢+レモンを。
セロリのきんぴらはお醤油を少なめにしてしっかり炒めました
入院中、メールやお見舞いメールなどで元気づけてくれたみなさん
ほんとにありがとうございました。
脳梗塞に効くらくらくレシピ―美味しさいっぱいの食事療法 作田 学,平野 美由紀 法研 このアイテムの詳細を見る |