介護に終わりは来ると言いますが、当たり前ですが本当に終わりがあったのですね。
母の病名がやっとわかり介護生活が始まって12年。
火葬場がいっぱいだということ(今、岡山市南区の火葬場が壊れているせいもあると思います)と友引のせいで、お通夜とお葬式が延びました。
お陰で、ゆっくりペースで事が進んでいるとは言え、やはり精神的にはハードでストレスフルです。
しんどくて、はぁ。。。
これがひとりだったら無理だったに違いありません。
しかも、普通なら昨日のお通夜で今日のお葬式だったわけで、一体どうなっていたか。
つくづく母にも少しでも大好きな家に長くいてもらえて良かったと感じています。
もう母の心配をしなくていいですし、一番大変だった時は過ぎたのだからとは思いますが、次から次へと決めないといけないことがあり、弔問客もあり、行事もあります。
今日の一番の行事は湯灌・納棺式でした。
今まで私が寝ていた部屋に息子夫婦が寝てくれていますので、私は自分の部屋で寝ています。
朝は7時まで寝ると言っていましたので、7時まで私も自分の部屋にいました。
その後、息子が作ってくれた朝食です。
家にいた時には全く何もしませんでしたが、いまやすごい。
しじみとわかめのお味噌汁。
オイルサーディンはトマト味。
目玉焼きも上手です。
その後、遺言書がそれぞれに2通ずつ出てきました。
遺言書を読んで号泣しました。
私と孫達2人に向けて、それぞれ2通ずつありました。
息子とお嫁ちゃんがお買い物に出た時、ひとりになる時間があったので母のそばで封を切りました。
ひとつは令和元年。
もうひとつはかなり病気が進んでいて読むのがやっとでした。
その後もう1通、私宛に出てきました。
昨日の着物といい、ちゃんと準備していたわけです。
息子はお買い物から帰って昼食後に読んでいました。
その後午後からWhatsAppで娘も「開けて読んで」ということで読みました。
皆で大笑いしたり、泣いたり・・・。
朝一で届いた枕花
ヘルパーさんが来て下さいました。
その後、一番お世話になったヘルパーさんが来て下さいました。
ママ友も又、寄ってくれました。
夜遅くになって母の訃報が町内に配られたようでお隣の85歳の方が、今、教会に行ってきたら真っ暗だったとおっしゃって来て下さいました。
まだ引っ越して5ヵ月なのに律儀です。
このモンキチョウ、父からの使者かなと思うことがあります。
4時からは湯灌・納棺式でした。
納棺師は女性2名。
湯灌は訪問入浴と同じようでしたが、設備がもっと良く、沸かすお水も持参し、捨てるお水も持って帰るようになっていました。
セッティング後、今までの疲れを取るという意味で、親族がお湯をかけていったり、洗ってあげたり。
納棺の時には急に息子が泣きだしてびっくりしました。
私はただただしんどかった。。。
このような行事は亡くなった人の為であると同時に、残された人達の心の整理の為と聞きますが、本当にひとつひとつの別れの式が辛くてしんどい。
このお花は顔の周辺に飾るお花
昨日は朝一に町内の方が2人来て下さり、元クリニックの看護師さんも来て下さいました。
日曜日の御ミサ後、神父様と2人の方(昨日も来て下さったおふたり)が「亡くなった直後の祈り」に来て下さいました。
従兄弟も含めて、教会ともオルガニストや司会進行などの打ち合わせをしました。
その後、老人クラブの方が来て下さったり、夕方にはお嫁ちゃんのご両親が孫3人を連れて来て下さいました。
結構入れ代わり立ち代わり弔問に来て下さいます。
夕食時、息子夫婦がアイスワインを買ってきました。
誰も飲めないのに
でも、皆で乾杯をしました。
今日も間もなく0時。
急いでアップします。
★致知一日一言 【今日の言葉】2024.11.4
ギブ・ギブ・ギブ&テイク
ギブ・ギブ・ギブ&テイクの
姿勢を貫いていれば、
自分が与えた相手というよりも、
回り回って自分に返ってくる。
ひいては人生を切り開く原動力になる
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山岡彰彦
(アクセルレイト21社長)
○『致知』2024年12月号
特集「生き方のヒント」より
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★[ECCJ] 今日(11月04日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
怒りなさい。ただし、主の内において怒りなさい。
Be angry, yes, but in the Lord.
(2778-2)
★致知一日一言 【今日の言葉+α】2024.11.4
福を身につける三つの道
〈渡部〉
「福や運を論ずるのはあまり高等ではないように思われるが、
人が一所懸命努力したり苦労したりするのは
福を得るためなのだから、
福について考えるのは悪いことではない」
露伴はこう述べます。悪いどころではありません。
福についてしっかりした考えと態度を持つことは、
これこそ人生の要訣です。
露伴は福を身につける三つの道を示します。
「惜福」「分福」「植福」です。
運が巡ってきて福に恵まれます。
そこでどうするか。恵まれた福を使い切らず、
その福の一部を見えないところを巡っている
運にお返しするような気持ちでとっておく。
その心掛けが惜福です。
露伴は母親に新しい着物を
作ってもらった兄弟を例に述べます。
一人は古い着物はまだ着られるのに
行李の底に放り込んで黴だらけにし、
新しい着物を毎日着てたちまち着崩してしまいます。
一人は古い着物は日常着とし、
新しい着物は改まった場で着るようにします。
前者には惜福の工夫がなく、
後者の態度こそ福を惜しむということだ、
と露伴は言っています。
「幸運は七度人に訪れる」という諺があります。
その一方、自分は非運続き、
一度も運に恵まれなかった、
と嘆く人がいます。本当にそうでしょうか。
七度訪れるかどうかは別にして、
仔細に見れば、
運と全く無縁の人などいるはずがありません。
問題は、微かにでも巡ってきた運を感じ取り、
有り難く受け止めることができるかどうかです。
どのようなものであれ、
自分に巡ってきた運を感じ取り、感謝する。
この心が惜福を心掛け、
惜福の工夫をする土台になります。
惜福は自分に来た福をどう扱うか、
言ってみれば自己一身の問題で、
どちらかと言えば福に対処する消極的側面です。
しかし、これだけでは十分ではありません。
自分に来た福を他に及ぼしていく
積極性がなければならない、と露伴は述べます。
それが分福です。
自分に来た福を自分で使い切らず、
いくらかは分けていく。
分福は特に人の上に立つ者にとっては
不可欠の心掛けだと言えましょう。
惜福と分福。この二つは同じように心掛け、
工夫するものであって、
どちらか一方に偏しては自分に来た福をさらに膨らまし、
永続させていくことはできません。
幸田露伴はそのことを豊臣秀吉と徳川家康を例に述べています。
秀吉は臣下に惜しみなく知行地を与え分福には十分で、
それ故にいち早く天下人の地位を確立したのですが、
惜福には欠けていて、
それ故に短期政権で瓦解してしまいました。
家康は惜福は十分でしたが、
直臣の旗本には大きな知行地は与えず、
分福にはいささか欠けるところがありました。
それが維新期に政権が
持ちこたえられなかった一つの因となりました。
歴史上の人物が例とは大袈裟に
感じられるかもしれませんが、
これを自分の状況に引きつけて考えれば、
惜福分福の心掛けと工夫とは何かがよく分かります。
惜福分福は自分に来た福への対処の問題です。
だが、福に対して受け身であるだけでは、
万全とは言えません。いつになるかは分からない。
どこに行くのかも分からない。
だが、いつか誰かに巡っていく福の種を蒔き、
幼木を植えておく心掛けと工夫があってこそ、
福は万全のものになる、と言えましょう。
それが植福です。
「福を論じて最も重要なのは植福である」
と露伴は言い、
一本のリンゴの木を譬えにして説明しています。
リンゴの木を植え、
適宜剪定をして木を長持ちさせるのは惜福です。
そうして豊かに実った果実は
自分が味わうのはもちろんですが、
自分だけでなく他にも分けて楽しみます。
分福です。
さらにリンゴの種を蒔き、
幼木を育ててリンゴの木を増やしていきます。
増やしたリンゴの木がつける果実を、
自分は味わえないかもしれません。
だが、子や孫と次の世代が
そのおいしさを堪能できるのは確かです。
これが植福です。
植福とは福を作り出すことなのです。
これを繰り返せば、
「無量無辺の発生と産出とを為す」と露伴は言います。
私たちはいま、人類の歴史に
かつてなかった高度な文明に包まれ、
豊かさを享受して暮らしています。
この幸運に巡り合えたのはなぜでしょうか。
先人の植福のおかげであることに気づくのは容易です。
先人が繰り返してきた植福の営みが
無量無辺の発生と産出となり、
その蓄積が豊かな文明となって、
私たちに恵みを与えているのです。
こう考えてくると、
植福は自分や家族といった
個人的な生きる営みの要訣というだけではなく、
国家が、人類が歴史を積み重ねていく上での
要訣でもあることが分かります。
突然は避け難いでが、
お母様の旅立ちは見事ですね
皆様の安らぎを心よりお祈りします
私は3日に京都の短歌の先生のご葬儀に参列しました。94歳の上品で美しく教養高い京都の女人でした
桜がお好きな先生は桜柄の棺に、あけび誌10月号、達筆な自筆の短歌の短冊が2枚用意されていて柩に入れられました
短歌を深く愛し、慕われていました