江戸の地の空に聳える電波塔二百年前の浮世絵に残り
地球星想像つかぬ百年後天空海は如何に変われり
(地球が無事ならばの話ですね~。)
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2012(平成24)年2月29日に完成していた高さ634mの電波塔東京スカイツリーが同年5月22日に開業しました。
東武鉄道の貨物列車基地跡地に建造された建物は、電波塔として、地上デジタル放送 FMラジオ放送 携帯端末向けマルチメディア放送 タクシー無線の基地局などの役割を担っている他、避雷針 雨水貯留槽(地下) 蓄熱槽といった自然災害等への配慮も施されています。
江戸時代にスカイツリー? <label for="label79290">「スカイツリーが描かれていた」とされる浮世絵の検証 </label>スカイツリーが完成してちょっとした頃に、一部界隈で江戸時代にもスカイツリーがあったのでは…?!と話題になりました。
江戸時代後期に活躍した浮世絵師・歌川国芳が1820〜1850年代頃に描いたとされる東都三ツ股の図という作品の左側に、スカイツリーに似た建物が描かれていることがきっかけでした。
![歌川国芳作『東都三ツ股の図』](https://netlab.click/wp-content/uploads/2017/04/kuniysur.jpg)
歌川国芳作『東都三ツ股の図』浮世絵の左側に高い建物らしきものが確認出来ます。
考察 建物浮世絵で描かれた場所は東京・隅田川のほとりとされており、中央から右側に向かって架かっている橋は永代橋と考えられております。
また、浮世絵が捉えている目線の位置は、現在の隅田川テラス辺りで、絵自体は舟の修理を描いた作品となっております。
今日の永代橋を基準として、仮に浮世絵とほぼ同じ位置に立ったとしても、スカイツリーは絵と同じ位置には見えないものの、橋の大きさと距離感を考えると、塔のようなものはとんでもない大きさの建物になり、当時の江戸にあんな大きな建物は存在しないし、(お城より)高い建築物を作ること自体が禁止されていたことや、作者である歌川国芳自体が割と突飛な作品を残していることから、何かを見て描いたか、(スカイツリーに似た建物を)予見していたかなどちょっとした話題となりました。
ちなみに、歴史の専門家や浮世絵技師から見ても謎の塔のようなものが何なのか明確な答えは出ておりません。
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スカイツリーが出来立ての頃に見ましたが、行く機会がなくなりましたのでまだ登っておりません。
と言うより、登った景色は想像できるので登ってまで見なくてもいいかな~って感じです。
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昨日は中学校の運動会でしたが、中一の孫は3日前から風邪で学校を欠席中です。
小学校5・6年生の時は学年ごとの運動会でしたのでちょっと可哀そうです。
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