漫画本パラパラ捲るひと時の架空の世界に入り込むなり
古刹には鳥獣戯画とふ絵巻物日本の漫画の原典なるや
(想像力・創造力などを育むのは漫画が一番!)
・・・・・・・・・・・
「ルパン三世」
怪盗アルセーヌ・ルパン(ルパン一世)の孫、ルパン三世を主人公に置いたナンセンス、コメディー、スラップスティックの要素を多分に含んだアクション作品である。
1971年にテレビアニメ化化されてからは映画、OVA、ゲーム化などの各種メディア展開がされ、現在に至るまで半世紀以上、幅広い層からの人気を得ている。
作者モンキー・パンチ(本名:加藤 一彦)1937年5月26日生まれ、北海道厚岸郡浜中町出身。
学生時代は地元唯一の医師である道下俊一の元でレントゲンの助手などを行っており、漫画で患者を和ませていた。
手塚治虫の漫画の影響を受けて、漫画を描き始め、高校卒業後の1957年に上京、1959年から「加東一彦」のペンネームで貸本専門の出版社で執筆をしながら、弟の加藤輝彦と、もう一人の友人と同人活動を行っていた。
ペンネームの「モンキー・パンチ」は雑誌の取材に対し弟の加藤輝彦と兄弟それぞれで漫画を書いているという意味で答えたことが、「2人でモンキー・パンチ」として記事となった事から生じた誤解であり本人たちが『漫画アクション』2018年1月4日号のインタビューでこの風説を否定している。
キャラクター・ストーリー・メインの絵は兄の作で、弟の輝彦はアシスタントの役割に徹していたという。
作風が西欧風なのは、国外特にアメリカの雑誌の漫画も読んでいて影響を受けたからと言われる。
「モンキー・パンチ」というペンネームは、その西欧風の作風と併せて「どこの国籍の人が描いているか分からなくする」ために、双葉社の『漫画ストーリー』清水文人編集長からつけられた。
当初、加藤本人はこのペンネームを不満に思い一年ほどの暫定的なペンネームのつもりでいた。
浜中町の僻地医療を描いた『プロジェクトX』(NHK)に、道下俊一医師の助手として出演歴あり。
ここで紹介された診療所と同名の施設を『ルパン三世』の『健在ルパン帝国』にて登場させたこともある。
フジテレビで放送された『潮風の診療所~岬のドクター奮戦記~』の中ではモンキー・パンチを世に送り出すきっかけをつくった道下医師の事及び本人の若き日々が描かれていた。
アメリカ合衆国のアニメ映画『トムトジェリー』の掛け合いが好きで、そのままルパン三世の世界として採用しており、銭形警部はトム、ルパン三世はジェリーをモデルにしている。
『トムとジェリー』が心の底から好きだったため、原作者であるウィリアム・ハンナとジョセフ・バーベラに会いに渡米したこともある。
この際、作者であるバーベラからルパン三世をモチーフにしたイラストを色紙に書いてもらっている。
1996年から千葉県佐倉市 染井野に居を構え、佐倉市広報カレンダーの作画も担当していた。
将来、自らキャラクターデザインを行いCGを駆使したハイクオリティーのアニメ映画を製作するのが夢と語っていた。
2000年代以降、創作活動は企業との協業などをのぞいてほとんど行わなくなったが、大学で教鞭をとるなど、晩年まで後進の育成や業界振興に専心した。
2019年4月11日81歳にて没(合掌)
・・・・・・・・・・・
私も同じように「トムとジェリ―」が大好きですので、モンキー・パンチさんの「ルパン三世」も大好きです。
人となりを見ていると好きなことを生業にしていたようですね。
同じ北海道人として素敵だったろう人生に乾杯!
~~~~~~~~~~~
昨日は意外に寒かったようで、17.8℃だったもようです。
今日は昨日より暖かくなりそうです。
1デイクリック はげみになります(^^)↓