渡久山氏は、第32軍司令部壕の第6坑道口の下にあった師範学校の実習田で、頭を坊主刈りにされた女性が殺害される場面を目撃し、『南の巌の果まで』に書き記している。司令部壕の近くで行われた住民虐殺についての貴重な証言である。以下に引用し紹介したい。
〈夜に入って厠へ出かけた帰り、奇妙な叫びに近いものを聞いたような気がした。耳を澄ますと確かに聞こえてくる。叫び声をたよりに歩を進めると、それが悲鳴で . . . 本文を読む
渡久山朝章著『南の巌の果までー沖縄学徒兵の記ー』(文教図書)は1978年1月に刊行されている。その年は沖縄戦から33年目にあたり、沖縄戦の死者の終わり(ウワイ)スーコー=三十三回忌にあたっていた。 沖縄戦当時、著者は沖縄師範学校の生徒だった。防衛召集によって球一○一五八第二野戦築城隊付鉄血勤皇師範隊の一員となり、第三二軍司令部壕の壕掘り作業をになった。首里から撤退後は、南部戦線の戦闘に参加す . . . 本文を読む