八原博通著『沖縄決戦』によれば、首里から摩文仁に撤退したあと、6月7日の夜に〈首里司令部で一緒だった翁長、仲本、金城の三人娘が帰ってきた〉(P341)。そして翌8日の夜に〈大きな荷物を背負った娘たち総勢約三十名〉(P342)が摩文仁の司令部壕にやってきた。その中には辻の若藤楼の女性たちもいて、大迫氏は『薩摩のボッケモン』で次のように記している。
〈玉倶楽部で軍の慰安のために働いた若藤楼の人達は . . . 本文を読む
大迫亘著『薩摩のボッケモン』(現代ブック社)は1974年12月に初版が発行されている。同書カバーには大迫氏の略歴が次のように記されている。
〈明治42年12月26日鹿児島県に生まれる。昭和7年東京歯科医学専門学校(現在の東京歯科大学)を卒業し同年沖縄県那覇市で石門歯科医院を開設する 昭和19年沖縄第32軍司令部軍医部に勤務して長参謀長の特務員として活躍する 昭和21年沖縄より復員 昭和25 . . . 本文を読む
前にも紹介しましたが、明日17日(土)に首里の第32軍司令部壕跡に設置予定の説明板文案から、「慰安婦」「住民虐殺」の記述が削除された問題の緊急学習会が開かれます。本ブログでも紹介した『南の巌の果まで』の著者である渡久山朝章さんの証言もあります。67年前の司令部壕の状況を知る渡久山さんから、じかに証言を聴ける大切な機会です。説明板問題を考えるために、多くの皆さんのご参加をあらためて呼びか . . . 本文を読む