3月7日に浜松地方裁判所で、自衛官のいじめ(パワーハラスメント)による自殺への損害賠償を求める裁判の最終弁論が行われた。それを傍聴するために静岡県に行き、あわせて陸軍中野学校二俣分校跡などを見学してきた。沖縄に戻ったあと11日に東日本大震災が発生し、さらに福島原発で炉心溶融が起こるなどして、テレビとインターネットに釘付けとなっていた。地震や津波で犠牲になった方々を悼み、ご冥福を祈りたい。
京の京太郎さんからコメント欄で原子力資料情報室のホームページの紹介があった。同ホームページに載っている岩上安見チャンネルで、インタビューや記者会見が見られます。参考になると思いますのでご覧ください。
http://www.cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1002
1979年3月28日にスリーマイル島原発事故が発生した。それは私が大学に入る直前のことだった。学生時代を過ごした70年代後半から80年代前半にかけて、全国各地で反原発闘争が激しくたたかわれていた。1986年4月26日にはチェルノブイリ原発事故が発生し、広瀬隆氏の著作がベストセラーになった。原発の危険性やそれが地震の多い日本で次々と建設されることの問題は、30年以上前から指摘され、批判されてきたことだった。
福島第1原発や第2原発で、被曝の危険に身をさらして作業をしている労働者の中には、東京電力の社員以外に下請け業者の人たちも数多くいる。かつて「原発ジプシー」という言葉があったが、炉心近くの危険な現場で、今この瞬間にも多くの労働者が命がけの作業を行っている。今は彼らの努力が実をむすび、福島第1・第2原発の放射能漏れが最小限にとどまるよう願っている。
ロシア政府が認めた原発事故被曝による死亡犠牲者数は55000人。放射線による発病のほか、11000人を超える自殺者が含まれるこのこと。
この犠牲者の多くは事故処理作業従事者です。
ガン等が発病しても当時きちんとした放射線被曝測定もされず放置されていたため、当局に原発事故被曝との因果関係を認めてもらえないままの被災者が多数いるという。
想定外のことが起ることが「事故」なのだ。
想定内のトラブルはただの「故障」だ。
東京電力のトラブル処理能力は「故障」まで。
原発「事故」に対する対処能力は全くないことが証明された。
《原発は安全》と電力会社や原発推進者派の科学者たちが言っていたことは《神話》であったことが今回の事故でも証明された。この事実を政府も電力会社も錬金術科学者たちも認め、反省しなければならない。
これ以上の事故拡大を押し留め、そして放射線被曝犠牲者を最小限に留めるよう、営利追求姿勢を捨てて、人命第一の事故処理作業を速やかに進められることを要求したい!。
核も原発もごめんだ!戦争も基地もごめんだ!とあきらめることなく、声を上げ続けよう・・・。