25日は午後から本部町立博物館に行き、特別展「日露戦争写真展」を見てきた。本部町出身で山梨学院大学名誉教授の我部政男氏が、アメリカや中国、ロシアの公文書館から収集した写真168点を本部町に寄贈したことから企画された展示会ということで、日露戦争の戦場や日本軍の様子、現地住民の生活などを写した貴重な写真をはじめ、本部町から出征し、戦死した兵士の資料や、厭戦気分の高まりの中で生じた徴兵忌避の状況、「本部騒動」の新聞資料などが展示されている。写真撮影は禁止されていなかったので、会場の様子を少しだけ紹介したい。
日清戦争や日露戦争が沖縄にとってどのような意味を持っていたかなどの説明文のあと、我部氏から寄贈された写真が展示されていた。
明治新政府によって琉球王国が滅ぼされ、ウチナンチューを日本帝国臣民として作り変えるための教育や諸制度の改革が進められた。日露戦争にはウチナンチューも従軍し、以後、日本のアジア侵略の一翼を担うことになる。
沖縄戦を日露戦争までさかのぼって考えることは重要であり、貴重な写真資料が本部町立博物館に寄贈されたことは、ヤンバルの住民にとってとても有り難いことだ。
日露戦争で戦死した本部町浦崎出身の並里新助氏の資料も展示されていた。
本部町字東にある忠魂碑(大正4年建立)には、日露戦争で戦死した本部町出身者9名の名前が刻まれているという。〈1898(明治31)年の「徴兵令」実施以来、本部村は県内でもっとも徴兵忌避者が多かった〉(『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社)が、日露戦争に従軍して戦死者や負傷者が出たことが、さらに徴兵忌避の動きを強めることになった。1910(明治43)年には「本部騒動」が起こり、今年はその100年目にあたる。
「日露戦争写真展」は6月27日(日)まで、本部町立博物館にて開催。
日清戦争や日露戦争が沖縄にとってどのような意味を持っていたかなどの説明文のあと、我部氏から寄贈された写真が展示されていた。
明治新政府によって琉球王国が滅ぼされ、ウチナンチューを日本帝国臣民として作り変えるための教育や諸制度の改革が進められた。日露戦争にはウチナンチューも従軍し、以後、日本のアジア侵略の一翼を担うことになる。
沖縄戦を日露戦争までさかのぼって考えることは重要であり、貴重な写真資料が本部町立博物館に寄贈されたことは、ヤンバルの住民にとってとても有り難いことだ。
日露戦争で戦死した本部町浦崎出身の並里新助氏の資料も展示されていた。
本部町字東にある忠魂碑(大正4年建立)には、日露戦争で戦死した本部町出身者9名の名前が刻まれているという。〈1898(明治31)年の「徴兵令」実施以来、本部村は県内でもっとも徴兵忌避者が多かった〉(『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社)が、日露戦争に従軍して戦死者や負傷者が出たことが、さらに徴兵忌避の動きを強めることになった。1910(明治43)年には「本部騒動」が起こり、今年はその100年目にあたる。
「日露戦争写真展」は6月27日(日)まで、本部町立博物館にて開催。