海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

少年護郷隊之碑と和魂の碑

2010-06-24 18:37:36 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 南東慰霊之碑慰霊祭のあとに少年護郷隊之碑に向かった。午後3時から慰霊祭が行われたのだが遅れてしまい、着いたときにはすでに終わっていた。僧侶の稲福氏があとから来る人のために残っていて、ほかに数名の参加者が碑文を読んだり、メディアの取材を受けていた。







 沖縄戦当時10代だった護郷隊之隊員たちも80歳を越している。元隊員の一人は去り際に、身体が動く限り必ず来て慰霊祭を続ける、と言い残した。



 少年護郷隊之碑は名護小学校の南側の高台にある。慰霊の日で休みだったが、校庭で遊んでいた子どもたちが興味を覚えたのか、碑に上ってきていた。



 最後にナングスク(名護城)にある和魂の碑(にぎたまのいしぶみ)を訪ねた。球七〇七一部隊(独立混成44旅団第二歩兵隊)の隊員たちを祀った碑である。戦後六〇年の年に最後の慰霊祭が行われた。2005年6月24日付沖縄タイムス夕刊に次の記事が載っている。

http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/kiji/20050624_6.html



 掃き清められた敷地はニイニイゼミの声に包まれ、花束と酒、お茶が捧げられていた。
 沖縄戦から65年が経った。私の周りからも多くの戦争体験者が世を去った。どうしてもっと話を聞いておかなかったのか、という後悔が込み上げる。沖縄戦に限らず、みずからが生まれ育ったシマの歴史を知らねば、という思いに突き動かされている。

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