1968年に琉球政府主席を選ぶ初の公選が行われた。私は当時小学校2年生で沖縄の政治状況など知るよしもなかったが、近所の電柱や壁に「ヤラ」「ニシメ」と書かれた紙が貼られていたのは覚えている。沖縄の政治家の名前を知ったのは、この二人が最初だろうと思う。
その首席公選で日米両政府が、親米保守派の西銘順治氏を当選させるために裏工作をしていたことが、2010年12月に開示された外交文書で明らかにされた。
http://www.youtube.com/watch?v=YzykxBRzrcs&NR=1
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-22_13072/
選挙結果は革新共闘会議が推す屋良朝苗氏が当選し、琉球政府最後の主席にして沖縄県最初の知事となった。もし、日米両政府の裏工作が成功して西銘氏が当選していたらどうなっていたか。その後の沖縄は日米両政府の思惑通りに変わっていたか。必ずしもそうとは限らない。「革新政権を守れ」という抑制(圧)意識が働かない分、反戦・反基地運動はより先鋭化し、米軍基地の維持に困難をきたしていたかもしれない。
無論、これは推測の一つである。歴史にifはないというのは、歴史は1回だけでやり直しがきかない、ということは元より、一つの事実が変わることで生じる変化は偶然性も含んだ複雑極まりないもので筋書きは作れない、ということでもあるだろう。
映像の最後で解説している名古屋大学特任教授・春名幹男氏の著作『秘密のファイル CIAの対日工作』(共同通信社)の下巻には、「沖縄選挙にCIA資金」という一項がある。1965年11月に行われた琉球立法院選挙で、当時のライシャワー駐日大使が中心となり、CIAから自民党を通して沖縄民主党に資金援助が行われたという秘密工作が明らかにされている。他にも、米国が沖縄の軍事占領を継続することを求めた昭和天皇のメッセージや若泉敬とキッシンジャーによる核兵器再持ち込みの密約など、沖縄をめぐる日米間の交渉の裏側が描かれている。
同書のあとがきで春名氏はこう記している。
〈まず、踏まえなければならないのは、アメリカの対日基本戦略だ。
日本は地理的にも、戦略的にもきわめて重要な位置を占めている。日本を反共の砦とし、アメリカ側に取り込むことが最も大きな命題となった。
その日本で「効果的で、穏健な保守の政府」を発展させることがアメリカの基本戦略だったのである。米国家安全保障会議(NSC)は冷戦時代、この戦略を繰り返し採択してきた。いわゆる五五年体制下で、自民党政権が一九九三年まで三十八年間続いた最も大きい理由はそこにある。
アメリカはまた、日本の経済復興を急ぎ、「輸出立国」を促進した。
アメリカの政府は、こうした対日戦略に基づいて、数々の秘密工作を展開してきた。
「米政府の公然の外交活動は、秘密工作によって補強されなければならない」
NSC10/2号文書はそう明記している〉(下巻425~426ページ)。
その秘密工作を実行したのがCIA(アメリカ中央情報局)であり、同書はその対日工作の実態を明らかにしたものである。上下卷それぞれ400ページを超す大部で2000年に出た本だが、沖縄の基地問題を考えるうえでも必読の一冊である。日米両政府による沖縄への裏工作はけっして過去の話ではない。