【軍の関与を消去、曖昧にする狙い】
今回の教科書検定では、文部科学省の調査官によって、「集団自決」に関する記述が次のように「修正」されている。
山側出版社「日本史A」
〈申請図書の記述〉
日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。
〈修正後〉
日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた。
東京書籍「日本史A」
〈申請図書の記述〉
日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で「自決」を強いられたものもあった。
〈修正後〉
「集団自決」に追い込まれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった。
清水書院「日本史B」
〈申請図書の記述〉
なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた。
〈修正後〉
中には集団自決に追い込まれた人々もいた。
紙幅の都合で三社の教科書だけを取り上げるが、東京書籍や清水書院の教科書のように、「強いられた」「強制された」という記述が消されることにより、「集団自決」が日本軍による強制であったことが否定されているのは、他の会社の教科書でも共通している。しかも、「日本軍」という実行主体まで消されることにより、〈修正後〉の記述では、誰によって「追い込まれた」のかが分からなくなっている。それによって軍の関与があったことも曖昧になり、あたかも戦時下の混乱という状況によって「追い込まれた」かのようにさえ読めるのである。
山側出版社の教科書の〈修正後〉の記述にいたっては、「自決した住民もいた」とすることで、まるで住民が自発的に命を絶ったかのように読める。「日本軍によって……集団自決に追い込まれた」という構造の文章が、「追い込まれた」を消した上で「日本軍に壕から追い出されたり」という文と「自決した住民もいた」という文とに切断され、一八〇度逆の意味に取れるように書き換えられているのである。
このような検定結果に対して、梅澤裕氏は「教科書の記述削除は目標の一つだった」と喜び、故赤松隊長の弟の赤松秀一氏は「原告として立ったのは、教科書に(自決命令)の記述があったから。削除され、これほど嬉しいことはない」と話したという(沖縄タイムス二〇〇七年三月三一日朝刊)。
大阪地裁で係争中の裁判から、梅澤氏や赤松氏ら原告側の主張だけを取り上げ、書き換えを命じた文部科学省の調査官の姿勢は中立性を逸脱していて、最初から政治的意図があったとしか思えない。そもそもこれまでは軍の強制があったという記述でも検定を通ってきたのである。それが今年になって急に変わったというのは、これまで見てきた沖縄における自衛隊強化や政治状況の変化、そして自由主義史観研究会をはじめとした民間の右派グループの動向を見ながら、文部科学省の官僚やそれと関わる政治勢力が〈おりがきた〉と判断したのであろう。だが、沖縄では〈おり〉はきていない。
【沖縄の怒りと反撃の声】
今回の教科書検定の結果が出る以前、自由主義史観研究会が渡嘉敷島・座間味島で現地調査を行った頃から、沖縄県内の沖縄戦研究者や平和運動に携わる人達からは警戒の声が出ていた。今回の教科書検定で沖縄県民の怒りに火がついたと言っていい。四月以降、教科書検定に抗議する集会がいくつも開かれ、市町村議会での抗議の意見書が次々と決議されている。六月九日には「沖縄戦の歴史歪曲を許さない沖縄県民大会」が開かれる予定であり、その実行委員会の構成団体は五月二三階で五七団体に達している。すでに六二年の時が流れ、戦争体験者が少なくなり、戦争体験の風化が言われるにしても、沖縄にはまだヤマトゥとは違う戦争の記憶と死者達への思いが生き続けているのだ。
『沖縄ノート』や『ある神話の背景』が書かれた七〇年代初頭以降、沖縄においては「集団自決」をはじめとした沖縄戦の研究と調査が積み重ねられてきた。渡嘉敷島においては兵器軍曹を通して事前に手榴弾が住民に配られていたことや、米軍の捕虜になることへの恐怖が植え付けられることによって住民が死を選ぶ方向に誘導されたこと、島の中における軍隊と住民の関係、赤松隊によって行われた住民虐殺や朝鮮人軍夫の虐殺など、多様な角度から事実の究明がなされてきた。沖縄から「集団自決」が日本軍の命令、強制、誘導によって起こったものであるという声が上がるのは、それらの調査や研究の積み重ねに立ってのものなのである。
憲法「改正」の国民投票が三年後には可能となり、集団的自衛権を可能とする憲法解釈も議論されている中、沖縄における自衛隊強化や今回の教科書検定の問題は、けっして沖縄だけの問題ではない。自衛隊が軍隊としての素顔を現そうとしている今、「集団自決」をはじめとした沖縄戦の実相を知り、「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を全ての日本人が直視してほしい。
今回の教科書検定では、文部科学省の調査官によって、「集団自決」に関する記述が次のように「修正」されている。
山側出版社「日本史A」
〈申請図書の記述〉
日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。
〈修正後〉
日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた。
東京書籍「日本史A」
〈申請図書の記述〉
日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で「自決」を強いられたものもあった。
〈修正後〉
「集団自決」に追い込まれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった。
清水書院「日本史B」
〈申請図書の記述〉
なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた。
〈修正後〉
中には集団自決に追い込まれた人々もいた。
紙幅の都合で三社の教科書だけを取り上げるが、東京書籍や清水書院の教科書のように、「強いられた」「強制された」という記述が消されることにより、「集団自決」が日本軍による強制であったことが否定されているのは、他の会社の教科書でも共通している。しかも、「日本軍」という実行主体まで消されることにより、〈修正後〉の記述では、誰によって「追い込まれた」のかが分からなくなっている。それによって軍の関与があったことも曖昧になり、あたかも戦時下の混乱という状況によって「追い込まれた」かのようにさえ読めるのである。
山側出版社の教科書の〈修正後〉の記述にいたっては、「自決した住民もいた」とすることで、まるで住民が自発的に命を絶ったかのように読める。「日本軍によって……集団自決に追い込まれた」という構造の文章が、「追い込まれた」を消した上で「日本軍に壕から追い出されたり」という文と「自決した住民もいた」という文とに切断され、一八〇度逆の意味に取れるように書き換えられているのである。
このような検定結果に対して、梅澤裕氏は「教科書の記述削除は目標の一つだった」と喜び、故赤松隊長の弟の赤松秀一氏は「原告として立ったのは、教科書に(自決命令)の記述があったから。削除され、これほど嬉しいことはない」と話したという(沖縄タイムス二〇〇七年三月三一日朝刊)。
大阪地裁で係争中の裁判から、梅澤氏や赤松氏ら原告側の主張だけを取り上げ、書き換えを命じた文部科学省の調査官の姿勢は中立性を逸脱していて、最初から政治的意図があったとしか思えない。そもそもこれまでは軍の強制があったという記述でも検定を通ってきたのである。それが今年になって急に変わったというのは、これまで見てきた沖縄における自衛隊強化や政治状況の変化、そして自由主義史観研究会をはじめとした民間の右派グループの動向を見ながら、文部科学省の官僚やそれと関わる政治勢力が〈おりがきた〉と判断したのであろう。だが、沖縄では〈おり〉はきていない。
【沖縄の怒りと反撃の声】
今回の教科書検定の結果が出る以前、自由主義史観研究会が渡嘉敷島・座間味島で現地調査を行った頃から、沖縄県内の沖縄戦研究者や平和運動に携わる人達からは警戒の声が出ていた。今回の教科書検定で沖縄県民の怒りに火がついたと言っていい。四月以降、教科書検定に抗議する集会がいくつも開かれ、市町村議会での抗議の意見書が次々と決議されている。六月九日には「沖縄戦の歴史歪曲を許さない沖縄県民大会」が開かれる予定であり、その実行委員会の構成団体は五月二三階で五七団体に達している。すでに六二年の時が流れ、戦争体験者が少なくなり、戦争体験の風化が言われるにしても、沖縄にはまだヤマトゥとは違う戦争の記憶と死者達への思いが生き続けているのだ。
『沖縄ノート』や『ある神話の背景』が書かれた七〇年代初頭以降、沖縄においては「集団自決」をはじめとした沖縄戦の研究と調査が積み重ねられてきた。渡嘉敷島においては兵器軍曹を通して事前に手榴弾が住民に配られていたことや、米軍の捕虜になることへの恐怖が植え付けられることによって住民が死を選ぶ方向に誘導されたこと、島の中における軍隊と住民の関係、赤松隊によって行われた住民虐殺や朝鮮人軍夫の虐殺など、多様な角度から事実の究明がなされてきた。沖縄から「集団自決」が日本軍の命令、強制、誘導によって起こったものであるという声が上がるのは、それらの調査や研究の積み重ねに立ってのものなのである。
憲法「改正」の国民投票が三年後には可能となり、集団的自衛権を可能とする憲法解釈も議論されている中、沖縄における自衛隊強化や今回の教科書検定の問題は、けっして沖縄だけの問題ではない。自衛隊が軍隊としての素顔を現そうとしている今、「集団自決」をはじめとした沖縄戦の実相を知り、「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を全ての日本人が直視してほしい。
軍隊は国民を守らないと書くと、国を守るために必要だという書き込みが多くありました。