沖縄は2月に入って雨模様の日が続いている。昨日は雨に加えて風もあり、沖縄にしては寒い一日だった。プロ野球団が八チームも来ているのに、各チームとも天候の悪さに練習スケジュールがうまくこなせず、グラウンド整備のスタッフも悩まされていることだろう。
今から15年前、1993年の日本ハムのキャンプでアルバイトをした。キャンプの一ヶ月間、グラウンド整備や球拾いその他、選手が練習しやすい環境を整えるため雑用をこなすのだが、大半は二十代の若者で、三十歳を過ぎたおっさんは私ひとり。当然、最年長だった。港湾労務や電気・水道工事、塾・予備校講師、機械の組み立て、ガードマンその他いろんなアルバイトをやったが、プロ野球キャンプのアルバイトはなかなか面白かった。
当時は大沢親分が監督で、若手に片岡、中堅に西崎、田中、広瀬、ベテランに大島といった選手がいたといえば、40代以上の人は、ああ、あの頃か、と時代が分かるだろう。その年のドラフト1位で入った新人に山原という投手がいて、大沢監督が「ヤンバルとも読めるな」と冗談を言ってたが、期待されていたのに芽が出なかったのは残念だった。
そのときのキャンプで一番話題を呼んでいたのは、選手よりも臨時コーチできていた元阪神タイガースの江夏豊氏だった。私がプロ野球に関心を持つようになったのは、沖縄出身の安仁屋宗八投手が23勝をあげた1968年からだが、その年に25勝をあげてセリーグの最多勝を獲得したのが江夏投手だった。江夏投手はその年に401奪三振の記録も打ち立てている。1971年のオールスター戦で九連続奪三振の記録を達成した場面は、名護の従兄の家で白黒テレビで見た。沖縄が日本に復帰する前の年だ。
阪神の江夏、巨人の堀内、広島の安仁屋、外小場と、私達の世代には、あこがれの投手達だ。中でも多くの伝説を残した江夏氏の姿を間近で見ることができたのは幸運だった。キャンプの間、江夏氏は存在感で周りを圧倒していた。
ある日、アルバイトの学生がトレパンのポケットに両手を突っ込んでグラウンドを歩いているのを日ハムのスタッフが注意したら、そのすぐあとに江夏投手がトレパン姿でポケットに両手を突っ込み、肩を揺すって歩いてきた。そのスタッフが目をそらして困った顔をしているのを笑いながら見た、という漫画みたいな場面もあった。
自らバッティングピッチャーを勤めたこともあり、球筋の美しさに見とれた。素人がこういうことを言っても笑われるだけだが、一塁側のベンチの前で見ていて、腹は突き出ているのに滑らかなフォームで腰が回転し、キャッチャーの構えたミットに糸を引くようにという比喩そのままにボールが走っていくのを見て、ああ、きれいだな、と思った。
しかし、そのキャンプの直後、江夏投手はある事件で捕まってしまった。残念でならなかったが、アルバイトの私達にもねぎらいの言葉をかけてくれる温かみのある人だった。
去年、田中幸雄選手が引退して、あの時代に日ハムにいた選手はすべて現役を退いた。夜のニュースで最終打席の場面をテレビで見ながら、キャンプのバイトのことを思い出した。
今から15年前、1993年の日本ハムのキャンプでアルバイトをした。キャンプの一ヶ月間、グラウンド整備や球拾いその他、選手が練習しやすい環境を整えるため雑用をこなすのだが、大半は二十代の若者で、三十歳を過ぎたおっさんは私ひとり。当然、最年長だった。港湾労務や電気・水道工事、塾・予備校講師、機械の組み立て、ガードマンその他いろんなアルバイトをやったが、プロ野球キャンプのアルバイトはなかなか面白かった。
当時は大沢親分が監督で、若手に片岡、中堅に西崎、田中、広瀬、ベテランに大島といった選手がいたといえば、40代以上の人は、ああ、あの頃か、と時代が分かるだろう。その年のドラフト1位で入った新人に山原という投手がいて、大沢監督が「ヤンバルとも読めるな」と冗談を言ってたが、期待されていたのに芽が出なかったのは残念だった。
そのときのキャンプで一番話題を呼んでいたのは、選手よりも臨時コーチできていた元阪神タイガースの江夏豊氏だった。私がプロ野球に関心を持つようになったのは、沖縄出身の安仁屋宗八投手が23勝をあげた1968年からだが、その年に25勝をあげてセリーグの最多勝を獲得したのが江夏投手だった。江夏投手はその年に401奪三振の記録も打ち立てている。1971年のオールスター戦で九連続奪三振の記録を達成した場面は、名護の従兄の家で白黒テレビで見た。沖縄が日本に復帰する前の年だ。
阪神の江夏、巨人の堀内、広島の安仁屋、外小場と、私達の世代には、あこがれの投手達だ。中でも多くの伝説を残した江夏氏の姿を間近で見ることができたのは幸運だった。キャンプの間、江夏氏は存在感で周りを圧倒していた。
ある日、アルバイトの学生がトレパンのポケットに両手を突っ込んでグラウンドを歩いているのを日ハムのスタッフが注意したら、そのすぐあとに江夏投手がトレパン姿でポケットに両手を突っ込み、肩を揺すって歩いてきた。そのスタッフが目をそらして困った顔をしているのを笑いながら見た、という漫画みたいな場面もあった。
自らバッティングピッチャーを勤めたこともあり、球筋の美しさに見とれた。素人がこういうことを言っても笑われるだけだが、一塁側のベンチの前で見ていて、腹は突き出ているのに滑らかなフォームで腰が回転し、キャッチャーの構えたミットに糸を引くようにという比喩そのままにボールが走っていくのを見て、ああ、きれいだな、と思った。
しかし、そのキャンプの直後、江夏投手はある事件で捕まってしまった。残念でならなかったが、アルバイトの私達にもねぎらいの言葉をかけてくれる温かみのある人だった。
去年、田中幸雄選手が引退して、あの時代に日ハムにいた選手はすべて現役を退いた。夜のニュースで最終打席の場面をテレビで見ながら、キャンプのバイトのことを思い出した。