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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

原子爆弾搭載場所 1

2009-08-03 16:47:27 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 サイパン島、テニアン島を攻略することによって、米軍はB29爆撃機による日本本土の空襲が可能となった。平坦な地形のテニアン島は飛行場建設に打ってつけであり、米軍はすぐに日本軍の飛行場を整備拡張し、B29の発進基地として使用する。以後、日本はB29の空襲にさらされることになる。
 写真は長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」をB29/ボックス・カー号に搭載した場所。深さ2メートル程の長方形の空間が掘られ、現在は鉄骨を組んでガラスで保護されているが、古い写真では埋められていて木が植えられている。
 ノースフィールド飛行場を飛び立って長崎に原子爆弾を投下したボックス・カー号は、帰途、沖縄読谷山の飛行場で燃料を補給してテニアンに戻っている。同機が離着陸したエイブル滑走路も残っていて、周辺はギンネムの林に覆われている。
 


 コンクリートで固められた地下の空間をガラス越しに見ながら、やりきれない思いと腹立たしさに襲われた。「絶対国防圏」の一角を崩され、もはや敗北は目に見えているにもかかわらず、無謀な戦争を続けた結果が日本各地の空襲や沖縄戦、広島、長崎への原爆投下につながった。当時の日本政府や軍の中枢にいた者たち、そして昭和天皇の責任がいかに重いか。そして、都市への空襲や原爆投下によって一般住民も無差別に大量殺戮した米国政府と軍の戦争犯罪がいかに重いか。
 八月六日・九日も近いのだが、なぜ広島や長崎の人たちが原子爆弾で殺され、戦後も苦しみ続けなければならなかったのか。国体護持(天皇制存続)のためにいたずらに戦争を長引かせた日本政府・軍の指導者たちと昭和天皇。人種的偏見を丸出しにして「マンハッタン計画」の仕上げを行った米国政府・軍の指導者たち。双方の責任と戦争犯罪がもっと問われなければならない。

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