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テニアン島内観光のつづき。
米軍上陸地点の次に南洋興発製糖工場の事務所跡を訪ねた。隣接して二階建ての糖度分析所跡も残っている。当時の町並みを復元した地図を持ってきて、もっと周辺を確かめたそうにしている人たちがいたのだが、時間がなくて二つの建物を見ただけで移動した。
道路の両側に広がっているタガンタガン(ギンネム)の林の中に入れば、工場や関連施設の跡も見られたのだが、島内観光ではそこまでは難しいだろう。ただ、訪ねる場所と時間の設定に、テニアンに住んでいた人たちが、かつての生活を偲ぶことができるような工夫がもっとほしかった。
私が生まれ育った今帰仁村の仲宗根に北部製糖工場がある。家のすぐ前が工場で、黒煙を吹き上げる二本の煙突を見て育った。製糖期になると通学路にサトウキビを満載したトラックが連なった。こぼれ落ちた切れ端を拾ったり、時には止まっているトラックから引き抜いたりして、小学校の行き帰りにサトウキビを食べたものだ。
今は工場の操業内容が変わってサトウキビの搬入もなくなり、煙突も消えてしまったが、『記念誌 はるかなるテニアン』に載っているテニアン製糖所の写真を見ながら、子どもの頃の北部製糖工場の様子が重なった。
65年前まで、一帯は夜になっても、操業する工場の明かりや機械音、サトウキビを搬入する軽便鉄道の汽笛、労働者のかけ声などで賑わっていただろう。戦争はそれをすべて無に帰した。建物のあちこちに弾痕があり、折れた柱が痛々しかった。
米軍上陸地点の次に南洋興発製糖工場の事務所跡を訪ねた。隣接して二階建ての糖度分析所跡も残っている。当時の町並みを復元した地図を持ってきて、もっと周辺を確かめたそうにしている人たちがいたのだが、時間がなくて二つの建物を見ただけで移動した。
道路の両側に広がっているタガンタガン(ギンネム)の林の中に入れば、工場や関連施設の跡も見られたのだが、島内観光ではそこまでは難しいだろう。ただ、訪ねる場所と時間の設定に、テニアンに住んでいた人たちが、かつての生活を偲ぶことができるような工夫がもっとほしかった。
私が生まれ育った今帰仁村の仲宗根に北部製糖工場がある。家のすぐ前が工場で、黒煙を吹き上げる二本の煙突を見て育った。製糖期になると通学路にサトウキビを満載したトラックが連なった。こぼれ落ちた切れ端を拾ったり、時には止まっているトラックから引き抜いたりして、小学校の行き帰りにサトウキビを食べたものだ。
今は工場の操業内容が変わってサトウキビの搬入もなくなり、煙突も消えてしまったが、『記念誌 はるかなるテニアン』に載っているテニアン製糖所の写真を見ながら、子どもの頃の北部製糖工場の様子が重なった。
65年前まで、一帯は夜になっても、操業する工場の明かりや機械音、サトウキビを搬入する軽便鉄道の汽笛、労働者のかけ声などで賑わっていただろう。戦争はそれをすべて無に帰した。建物のあちこちに弾痕があり、折れた柱が痛々しかった。