海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

タガ族の遺跡と対馬丸沈没

2009-08-22 22:08:40 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 島内観光の最後にサン・ホセ村(旧ソンソン)のタガ族遺跡のラッテストーンと、隣にある公園内の慰霊碑を訪ねた。『記念誌 はるかなるテニアン』には、遺跡前の広場に干されたニクブクや遠足できたカーヒー小学校生など戦前の写真、「日本人の墓」の墓碑を遺跡前に移して持たれた初期の慰霊祭の写真などが載っている。
 話は変わるが、今日8月22日は対馬丸が沈没してから65年目である。皆既日食で話題になったトカラ列島悪石島の北西約11キロの海上で、午後10時過ぎに米潜水艦の魚雷攻撃を受け、10時20分に沈没したとされる。犠牲者は氏名判明分で1468人、うち学童の犠牲は775人だった。
 8月3日のテニアン陥落から対馬丸の沈没まで、3週間も間がなかったのだ、と改めて認識させられる。7月7日のサイパン陥落によって「絶対国防圏」の一角が破られ、沖縄県民の県外疎開が短期間であわただしく進められる中で起こった悲劇だった。
 サイパン・テニアン陥落から対馬丸の沈没、そして10月10日の空襲へと、戦火は南洋群島から沖縄へ拡大していく。

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