少年護郷隊之碑慰霊祭は午後3時から行われた。南燈同窓会による慰霊祭が終わってすぐに名護小学校に移動したのだが、10分ほどで終わったらしく、碑に着くと遺族の皆さんは引き上げるところだった。道福寺の稲福氏によれば20名ほどの参加があったとのこと。あとから数名の遺族が訪れ、花束を捧げて碑に手を合わせていた。写真の女性に話を聞いた。
兄弟姉妹9人だが、四男がここ(名護小学校)の校庭で(護郷隊員に)剣道の指導をしていた。満州から帰ってきて、那覇の警察に勤めていたが、10・10空襲のあと(ヤンバルに)戻ってきていた。八重岳で戦死した。以前は(碑の前に)いっぱい参加者が並んでいたのに、今は少なくなって。ほかの兄弟も足腰が弱って参加できなくなった。
名護小学校の生徒たちがやってきて稲福氏に、「月桃の花」を歌っていいですか?とたずねた。いいよ、と返事をもらうと、一人が縦笛で前奏を吹き、「月桃の花」を合唱した。
和魂の碑(にぎたまのいしぶみ)は、球七○七一部隊の沖縄・鹿児島・熊本・宮崎・大分五県の元隊員によって、1965(昭和40)年7月22日に建立されている。戦後60年にあたった2005年に最後の慰霊祭が行われ、今は個人で訪れる人がいるだけである。毎年、清掃されて花束や酒が供えられ、道福寺の稲福氏が読経を行っている。