海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦」

2008-09-23 23:58:09 | 「集団自決」(強制集団死)
 今日(23日)午前1時30分から沖縄テレビの「ドキュメント08」で「証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦」(日本テレビ制作)が放映された。番組は座間味島や渡嘉敷島の「集団自決」生存者の証言と、沖縄戦の体験を継承しようとする若者たちの活動を二つの柱として構成され、「集団自決」の実態と沖縄戦の体験・記憶の継承のあり方を紹介する内容だった。証言者の中には、大江・岩波沖縄戦裁判や教科書検定問題が起こってから、自らの体験や目撃したことを積極的に語りはじめた人もいる。話の内容は元より、その口調、表情、身振りなどを通して、63年前の出来事を伝えようという思いがひしひしと伝わってきた。
 番組には座間味島の助役・兵事主任・防衛隊長であった宮里盛秀氏の娘さんも出て、短くはあったが発言していた。両親や兄姉を亡くすというつらい立場におかれているのに、あたかも「集団自決」を起こしたのが父親であるかのように言われることで、どれだけの苦しみをこれまで味わってきたことであろうか。
 大江・岩波沖縄戦裁判を傍聴し、原告側の主張を聞いたり読んだりしてきた中で、私が一番憤りを覚えるのは、梅澤氏が「集団自決」に対する自らの責任を一切否定し、全てを村の幹部、とりわけ宮里盛秀氏に押しつけようとしていることだ。座間味島の日本軍の最高指揮官であり、島における命令系統の頂点にありながら、梅澤氏は隊長命令を否定するだけでなく、「集団自決」に自分は一切関係ない、責任はない、と言いきっている。
 戦争当時、村の人達が実際に使っていた「玉砕」とは、本来軍人・軍属が行うものだ。アッツ島の戦闘から沖縄戦まで、大本営報道部が全滅を美化して「玉砕」と報じた戦闘は十二カ所ある。その中には、グアム島やサイパン島のように軍人・軍属の「玉砕」の巻き添えとなって非戦闘員の住民(邦人の民間人)も死ぬことはあった。しかし、隊長をはじめ軍人・軍属が「玉砕」することなく、住民だけが「玉砕」することはなかったし、それは「玉砕」の意味からして本来あり得ないことだ。
 しかも、梅澤隊・赤松隊はマルレという特攻艇で米軍に体当たり攻撃を行う特攻隊だった。本来はまっ先に出撃して「玉砕」するはずだった特攻隊の隊長が、米軍の捕虜となって生き残り、村の幹部や住民は命令に従って「玉砕」したとなれば、当時の軍人の規範からして、これ以上ないほどの大きな恥辱である。戦後、赤松隊長や梅澤隊長が必死になって「集団自決」の命令を否定し、防衛隊員や村の幹部が中心になって住民が勝手にやったこと、と言い張ってきたのは、たんに自己保身というだけでなく、軍人としての恥辱から逃れるためでもあっただろう。
 だがそれは、島の最高指揮官としての責任をも否定することで、新たな恥辱にまみれることでしかない。仮に、隊長として直接の命令はしなかった、と主張するにしても、島の部隊の最高指揮官として自分は重い責任を負っていると認め、島の人達に謝罪していたなら、梅澤氏に対する評価も変わっていただろう。ところが、いま梅澤氏がやっているのはまったく逆のことなのだ。防衛隊長として梅澤隊長の指揮下で行動していた盛秀氏をはじめ村の幹部らに全ての責任を押しつけ、自己正当化に終始しているのである。
 梅澤氏が戦後どれだけ苦しんだと言っても、自らの肉親を亡くした座間味島の遺族の苦しみとは比べようがないだろう。その遺族に対して梅澤氏は、援護金欲しさのために自分に「集団自決」の「罪」をなすりつけたと主張している。沖縄からどんどん声をあげ、反論、批判をしていかなければ、大江・岩波沖縄戦裁判の原告とその支援者らは、なりふりかまわず自己正当化を図ってくる。それによって遺族がどれだけ苦しもうと、「集団自決」を殉国美談ととらえる彼らには何の痛みもないだろう。控訴審における宮平秀幸証言や藤岡信勝氏らの動きを見ていて、そのことを痛感する。彼らの恥知らずな主張、自己正当化を許してはならない。

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