大迫亘著『薩摩のボッケモン』(現代ブック社)は1974年12月に初版が発行されている。同書カバーには大迫氏の略歴が次のように記されている。
〈明治42年12月26日鹿児島県に生まれる。昭和7年東京歯科医学専門学校(現在の東京歯科大学)を卒業し同年沖縄県那覇市で石門歯科医院を開設する 昭和19年沖縄第32軍司令部軍医部に勤務して長参謀長の特務員として活躍する 昭和21年沖縄より復員 昭和25 . . . 本文を読む
前にも紹介しましたが、明日17日(土)に首里の第32軍司令部壕跡に設置予定の説明板文案から、「慰安婦」「住民虐殺」の記述が削除された問題の緊急学習会が開かれます。本ブログでも紹介した『南の巌の果まで』の著者である渡久山朝章さんの証言もあります。67年前の司令部壕の状況を知る渡久山さんから、じかに証言を聴ける大切な機会です。説明板問題を考えるために、多くの皆さんのご参加をあらためて呼びか . . . 本文を読む
東村高江のヘリパッド建設に反対する住民二人に対し、国が交通妨害を理由に弾圧をかけてきた裁判の判決が14日にあった。那覇地裁は住民のひとり安次嶺さんについては国の請求を棄却したが、もうひとりの伊佐さんについては請求を認める不当判決を下した。琉球朝日放送が裁判の様子や判決の意味を伝えている。
http://www.qab.co.jp/news/2012031434389.html
15日付沖縄 . . . 本文を読む
沖縄に駐屯した日本軍部隊の「従軍慰安婦」関係資料は、以下の書籍で読むことができます。
☆復刻(財)女性のためのアジア平和国民基金編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成③』(龍渓書舎/1997年発行)には「防衛庁関係公表資料」として、以下の沖縄の部隊の会報、陣中日誌などが、原本コピー(影印)で集録されています。
・石兵団会報第五四号(昭和19・9・14) 同 第五六号(昭和19・ . . . 本文を読む
濱川昌也著『第三十二軍司令部秘話 私の沖縄戦記』(那覇出版社)は、1990年6月23日に発行されている。付録として著者の父・濱川昌俊氏の「久米島具志川村長の戦時日誌」が収められている。 濱川昌也(はまがわまさなり)氏は1916年10月、久米島の具志川村(現久米島町)生まれ。沖縄戦の前年まで県の技手として沖縄県工業指導所科学部主任を務めていた。1944年9月に召集をうけ、第32軍司令部管理部付 . . . 本文を読む
県による「慰安婦」「住民虐殺」記述削除についての緊急学習会
1 講 演 ・・・ 沖縄戦研究者による史実から見た「慰安婦」「住民虐殺」問題について
講師:大城 将保さん(県史編集委員・元県立博物館長)
2 報 告 ・・・ 第32軍司令部壕説明板検討委員会委員による経過説明等
報告者:新城 俊昭さん(説明板設置検討委員・沖縄大学客員教授)
3 証 . . . 本文を読む
1984年発行の沖縄エッセイストクラブ作品集②『群星』に山川泰邦氏の「従軍慰安婦狩り出しの裏話」と題したエッセイが収められている。 山川氏は1908年(明治41年)沖縄県国頭郡本部町生まれ。琉球警察学校長、那覇警察署長、立法院議員などを務めた。『秘録沖縄戦記』(読売新聞社)の著者としても知られる。1991年(平成3年)死去。 山川氏のエッセイを読むと、日本軍による慰安所開設に対して、 . . . 本文を読む
3月10日午後5時過ぎから那覇市の県庁前広場で、「さようなら原発 さようなら米軍基地集会」(主催:沖縄平和運動センター)が開かれた。参加者は100名ほど。 最初に昨年3月11日の地震・津波による犠牲者に1分間の黙祷を行った。
主催者を代表して崎山嗣幸さん(沖縄平和運動センター議長)があいさつ。そのあと照屋寛徳衆院議員(社民党)、瑞慶覧功県議会議員(社大党)、山内徳信参院議 . . . 本文を読む
野里洋著『汚名 第二十六代沖縄縣知事泉守紀』(講談社)は1993年12月に発行されている。 泉守紀(いずみしゅき)は1898年(明治31年)2月11日、山梨県に生まれた。1943年(昭和18年)7月1日、北海道内政部長から沖縄県知事への昇任が決まる。当時の知事は国の官吏で任命制だった。翌年1月12日、東京出張中の泉は内務省で自らが希望していた香川県知事への転任を告げられ、そのまま沖縄に戻るこ . . . 本文を読む
沖縄師範学校龍潭同窓会編『傷魂を刻む わが戦争体験記』(龍潭同窓会)は、1986年11月に発行されている。「発刊によせて」にはこうある。
〈本校は、明治十三年六月二十一日、那覇西村に創立されて以来、第二次世界大戦の結果、昭和二十一年一月二十九日の「行政分離」に至るまでの六十六年に亘る歳月の中で四千名の卒業生を送り出し、県内の初等教育界は勿論、他各界の指導者を輩出させました。その間において、 . . . 本文を読む
渡久山氏は、第32軍司令部壕の第6坑道口の下にあった師範学校の実習田で、頭を坊主刈りにされた女性が殺害される場面を目撃し、『南の巌の果まで』に書き記している。司令部壕の近くで行われた住民虐殺についての貴重な証言である。以下に引用し紹介したい。
〈夜に入って厠へ出かけた帰り、奇妙な叫びに近いものを聞いたような気がした。耳を澄ますと確かに聞こえてくる。叫び声をたよりに歩を進めると、それが悲鳴で . . . 本文を読む
渡久山朝章著『南の巌の果までー沖縄学徒兵の記ー』(文教図書)は1978年1月に刊行されている。その年は沖縄戦から33年目にあたり、沖縄戦の死者の終わり(ウワイ)スーコー=三十三回忌にあたっていた。 沖縄戦当時、著者は沖縄師範学校の生徒だった。防衛召集によって球一○一五八第二野戦築城隊付鉄血勤皇師範隊の一員となり、第三二軍司令部壕の壕掘り作業をになった。首里から撤退後は、南部戦線の戦闘に参加す . . . 本文を読む
首里城地下にあった第32軍司令部壕に朝鮮人の女性や辻町の女性がいたことが、連載の第9回で取り上げられている。以下に紹介したい。
「首里城地下の沖縄戦 32軍司令部壕 第9回」1992年6月25日付琉球新報掲載〈司令部と女性/用済めば見捨てられ/激戦地さまよう 野原広信さん(六三)は「朝鮮ピー」と呼ばれていた女性らが一升ビンに詰まった玄米を棒でつついている姿を目撃している。「ピー . . . 本文を読む
20年前の1992年6月17日から8月13日まで、琉球新報は「首里城地下の沖縄戦 32軍司令部壕」という連載を行っている。当時、大田昌秀県政のもとで同壕の調査が行われ、復元・公開を望む声も出されていた。連載では生き残った沖縄師範学校の教師や生徒らの証言を中心に、戦時下の司令部壕の様子や第32軍司令部の動向が明らかにされている。その中に住民虐殺や慰安婦についての証言もあるので紹介したい。
「 . . . 本文を読む
3月6日に開かれた「いらない共通番号制(マイナンバー法)院内集会」の様子です。ぜひご視聴を。
http://www.ustream.tv/recorded/20914253
「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律案(マイナンバー法案)」の内容については、内閣官房のサイトに載っています。
http://www.cas.go.jp/jp/houan/index. . . . 本文を読む