理想国家日本の条件 自立国家日本より転載します。
短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(10)
民主党マニフェストの終焉と現実の日本政治
http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2011/07/post-98c0.html
記事から部分抜粋
日本の国民は、現在の生活やその生活水準を維持しながら、新しく付加される機能として「民主党マニフェスト」を望んだのではないだろうか。
要するに、景気も、エネルギーも生活環境も全てそのまま。
もちろん、権利も人権の保護も、主権も今のままで、ただ単純に減税され、高速道路も無料になり、ガソリンも安くなり、
高校も無料になり、そして政府から子供手当てと称するお小遣いがもらえるということだ。
それならば非常にすばらしいということで、こぞって民主党に投票したのである。
もちろんその財源などは「無駄の削減と予算の組み替え」で
できるということで考えていたのであろう。
しかし、「きれいな薔薇にはとげがある」「うまい話には気をつけろ」の例えの通り、その内容はもろくも崩れ去った。
事業仕分けでは、非常に重要な日本のプライドを完全に馬鹿にされ、重要な予算も削られてしまった。
太陽光パネルや原子力の点検に関する予算まで毛図他のだから、現在何をしているのかわからない。
また、予算の組み換えなどは夢のまた夢。政策のほうも高速道路無料化などはできるはずもなく、
また、ガソリン税もそのままである。子供手当ても半額しか支給しない。
また沖縄の普天間基地の移転も、「抑止力ということがわかった」などという不思議な発言で撤回してしまったのである。
まさに、一方向からしか見ていない「改革案」のオンパレードは、他の状況や日本のバランス、
そして日本人の意識や根底に流れる魂を完全に無視したものでしかなかったのである。
平成23年7月21日に、民主党は特例公債法案を通すために、
こぞってマニフェストの見通しが甘かったということで謝罪を行った。
しかし、その根底にある理念を捨てたわけではないのである。
そして、謝罪も、「特例公債法案を通すための方便」でしかなく、
その内容は、完全に自民党や公明党、そして民主党の日本解体を阻止しようとする国民をだますための「手段」でしかないのである。
そして、また、その程度でだまされるという意味において、日本の国民は「何も考えていない」ということになってしまうのではないか。
では、今は何をしなければならないか。
1 民主党の正体を暴くこと
まさに、民主党が考えている理念とその理念を推し進めた場合にどのような日本になってしまうのかをしっかりと示さなければ
ならない。日本人の場合は、最後は何とかなるという楽観的な思想をしているが、
そのような生易しいものではないことは、浅間山荘事件や左翼過激派の内ゲバなどで明らかである。
また、そのような国がどのようになったかは、旧ソ連の国民や改革解放前の中国の貧しさがどのようなものであったのか、あるいは現在の北朝鮮の国民がどのような悲惨な目に遭い、そして、政府に抑圧されているかを考えるべきである。
「抑圧をなくすという勢力」がもっとも「抑圧をする勢力」であることを忘れてはならない。
身近にある外国や歴史を学ばなければならないのは、何も保守的な思想のことばかりではなく、
中国や北朝鮮、東側諸国の崩壊ということを考え、そして知ることによって、
自分たちの行動を律するということが必要なのである。
2 保守側の理論を作ること
私は、個人的にいつも言っていることであるが、左翼にはマルクスなどの根本理論があり、
その上で松下圭一の理論など、新左翼系の理論を持つ思想家が非常に多くある。
しかし、保守系はどうもそのような理論になることは少ない。
私の偏見なのかもしれないが、保守の人々は、どうしても精神論に偏ってしまう。
たとえば武士道ということを考えても、
「葉隠」の有名な一説「武士道とは死ぬことと見つけたり」というこの部分だけが
一人歩きをしてしまう。
しかし、実際によく読めば「死ぬときに恥ずかしくない生き方をせよ」ということで
「武士は、町人以上にいつ死ぬかわからないのであるから、
常々、死ぬと時そして死んだあとの自分の名誉のために、衣食を律し、
礼節をただし、恥ずかしくない生き方をせよ」ということに他ならない。
何でもよいから死ねばよいというものではない。また、切腹すれば何でも済まされるというものでもないのである。
しかし、この武士道が間違えて伝わってしまっているために、どうしても精神論に傾き、
覚悟や心意気などを自慢する人が少なくないのは事実だ。
しかし、実際に左翼系が理論を立てているのに、保守系が理論もなく精神論だけでいるのはよくない。
そもそも議論に勝てるはずがない。
また、精神論だけに偏れば、大多数の中道派から嫌われてしまうし街宣旋右翼と混同されてしまうのである。
ここは、まず保守系の理論をしっかりと打ち立てなければならないのではないか。
その上で、理論的に新左翼系の理論をつぶしてゆかなければ、保守の再興はありえないのではないかと考える。
3 保守の結集
保守という言葉にこだわっているが、マニフェストをこのように見ていると、
どうしても民主党の左翼的な考え方が明らかになってくるので、どうしてもそのような対抗軸を作り、
そして理論的に論破して相手が間違えていることをしっかりと世に示さなければならないのではないか。
その上においては、数の上でも同じである。
また活動、運動方針なども全てにおいて保守系の行う方法をしっかりと考えなければならない。
その方向こそ、まさに保守の結集であると考える。保守政権そのものを作るのに、
左翼の前で保守同士が県下をしていては意味がない。
そのために、保守の大同団結は必ず必要であると考えられるのである。
以上の状況から、民主党のマニフェストが完全に破綻をきたし、そして、
民主党自身、理論の破綻に気づいていない現在こそ、その好機ではないのか。
私自身も保守理論の構築を現在進めているが、多くの人に、精神論ではない保守理論の立ち上げを行ってもらいたい、
そして考えてもらいたいと思うのである。
短期連載 民主党内閣2年間の評価と日本の政治(10)
民主党マニフェストの終焉と現実の日本政治
http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2011/07/post-98c0.html
記事から部分抜粋
日本の国民は、現在の生活やその生活水準を維持しながら、新しく付加される機能として「民主党マニフェスト」を望んだのではないだろうか。
要するに、景気も、エネルギーも生活環境も全てそのまま。
もちろん、権利も人権の保護も、主権も今のままで、ただ単純に減税され、高速道路も無料になり、ガソリンも安くなり、
高校も無料になり、そして政府から子供手当てと称するお小遣いがもらえるということだ。
それならば非常にすばらしいということで、こぞって民主党に投票したのである。
もちろんその財源などは「無駄の削減と予算の組み替え」で
できるということで考えていたのであろう。
しかし、「きれいな薔薇にはとげがある」「うまい話には気をつけろ」の例えの通り、その内容はもろくも崩れ去った。
事業仕分けでは、非常に重要な日本のプライドを完全に馬鹿にされ、重要な予算も削られてしまった。
太陽光パネルや原子力の点検に関する予算まで毛図他のだから、現在何をしているのかわからない。
また、予算の組み換えなどは夢のまた夢。政策のほうも高速道路無料化などはできるはずもなく、
また、ガソリン税もそのままである。子供手当ても半額しか支給しない。
また沖縄の普天間基地の移転も、「抑止力ということがわかった」などという不思議な発言で撤回してしまったのである。
まさに、一方向からしか見ていない「改革案」のオンパレードは、他の状況や日本のバランス、
そして日本人の意識や根底に流れる魂を完全に無視したものでしかなかったのである。
平成23年7月21日に、民主党は特例公債法案を通すために、
こぞってマニフェストの見通しが甘かったということで謝罪を行った。
しかし、その根底にある理念を捨てたわけではないのである。
そして、謝罪も、「特例公債法案を通すための方便」でしかなく、
その内容は、完全に自民党や公明党、そして民主党の日本解体を阻止しようとする国民をだますための「手段」でしかないのである。
そして、また、その程度でだまされるという意味において、日本の国民は「何も考えていない」ということになってしまうのではないか。
では、今は何をしなければならないか。
1 民主党の正体を暴くこと
まさに、民主党が考えている理念とその理念を推し進めた場合にどのような日本になってしまうのかをしっかりと示さなければ
ならない。日本人の場合は、最後は何とかなるという楽観的な思想をしているが、
そのような生易しいものではないことは、浅間山荘事件や左翼過激派の内ゲバなどで明らかである。
また、そのような国がどのようになったかは、旧ソ連の国民や改革解放前の中国の貧しさがどのようなものであったのか、あるいは現在の北朝鮮の国民がどのような悲惨な目に遭い、そして、政府に抑圧されているかを考えるべきである。
「抑圧をなくすという勢力」がもっとも「抑圧をする勢力」であることを忘れてはならない。
身近にある外国や歴史を学ばなければならないのは、何も保守的な思想のことばかりではなく、
中国や北朝鮮、東側諸国の崩壊ということを考え、そして知ることによって、
自分たちの行動を律するということが必要なのである。
2 保守側の理論を作ること
私は、個人的にいつも言っていることであるが、左翼にはマルクスなどの根本理論があり、
その上で松下圭一の理論など、新左翼系の理論を持つ思想家が非常に多くある。
しかし、保守系はどうもそのような理論になることは少ない。
私の偏見なのかもしれないが、保守の人々は、どうしても精神論に偏ってしまう。
たとえば武士道ということを考えても、
「葉隠」の有名な一説「武士道とは死ぬことと見つけたり」というこの部分だけが
一人歩きをしてしまう。
しかし、実際によく読めば「死ぬときに恥ずかしくない生き方をせよ」ということで
「武士は、町人以上にいつ死ぬかわからないのであるから、
常々、死ぬと時そして死んだあとの自分の名誉のために、衣食を律し、
礼節をただし、恥ずかしくない生き方をせよ」ということに他ならない。
何でもよいから死ねばよいというものではない。また、切腹すれば何でも済まされるというものでもないのである。
しかし、この武士道が間違えて伝わってしまっているために、どうしても精神論に傾き、
覚悟や心意気などを自慢する人が少なくないのは事実だ。
しかし、実際に左翼系が理論を立てているのに、保守系が理論もなく精神論だけでいるのはよくない。
そもそも議論に勝てるはずがない。
また、精神論だけに偏れば、大多数の中道派から嫌われてしまうし街宣旋右翼と混同されてしまうのである。
ここは、まず保守系の理論をしっかりと打ち立てなければならないのではないか。
その上で、理論的に新左翼系の理論をつぶしてゆかなければ、保守の再興はありえないのではないかと考える。
3 保守の結集
保守という言葉にこだわっているが、マニフェストをこのように見ていると、
どうしても民主党の左翼的な考え方が明らかになってくるので、どうしてもそのような対抗軸を作り、
そして理論的に論破して相手が間違えていることをしっかりと世に示さなければならないのではないか。
その上においては、数の上でも同じである。
また活動、運動方針なども全てにおいて保守系の行う方法をしっかりと考えなければならない。
その方向こそ、まさに保守の結集であると考える。保守政権そのものを作るのに、
左翼の前で保守同士が県下をしていては意味がない。
そのために、保守の大同団結は必ず必要であると考えられるのである。
以上の状況から、民主党のマニフェストが完全に破綻をきたし、そして、
民主党自身、理論の破綻に気づいていない現在こそ、その好機ではないのか。
私自身も保守理論の構築を現在進めているが、多くの人に、精神論ではない保守理論の立ち上げを行ってもらいたい、
そして考えてもらいたいと思うのである。