咲とその夫

 思いもよらず認知症になった「咲」の介護、その合間にグラウンド・ゴルフを。
 週末にはちょこっと競馬も。
 

NHK BS歴史館・・・

2013-01-29 15:55:35 | レビュー
 昨日、「炎の突撃 真田幸村・最強の勇気人生大逆転!大阪決戦」を見た。当方、見逃していたもので、朝から再放送のこの番組をチェックしていた・・・。

 歴史家の先生方によると、真田幸村とは、謎の多い人物であるとの評価がある。通称・幸村は、真田左衛門佐信繁(さえもんのすけのぶしげ)のこと。ここでは、分かりがいいので、放送のとおり幸村と呼びたい。

 その幸村にもっともスポットライトが当たったのは、48歳から亡くなる49歳の1年間でしかない。ところが、この期間の活躍こそが400年以上も経った今日までの間、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」として永遠に語り継がれる最大級の武将である。

 大阪の役における獅子奮迅の戦ぶりで、敵方の徳川家康がもっとも恐れた武将であり、夏の陣では家康もここまでと思い極め、自刃を決意したほどであったとか・・・わずかの兵で家康の間近まで迫った。しかし、多勢に無勢の赤備の真田隊もこれまで、幸村終焉の地「安居神社」にて自刃。もっとも、徳川方の西尾何某(なにがし)に槍で殺傷とのことであるが、家康は幸村たる武将が下級武士に討たれるわけもないと一喝したとか。

 当方、数年前に歴史好きの娘たちとこの安居神社を訪れ、400年前に思いをはせた・・・。

 そのため、徳川方の武将の中には、宿敵であるはずの幸村について、見事な散り花を咲かせた武将として密かに敬っていたらしい。取り分け、伊達政宗らは幸村の武将としての生きざまを称えていたのであろう。その家臣・片倉小十郎のところに幸村の娘が嫁いでいる。

 また、次男・真田守信は、片倉重長に保護され片倉と名乗っていた。後年、幕府の厳しい追及も緩んだのか真田の姓に戻り・・・仙台・真田氏の祖となったらしい。

 幸村亡きあと、その血を受けた子供たちは、各地の武将が密かに血縁を結びたいと思っていたらしい。その幸村も、上杉家やと豊臣家の人質となりながら、父・真田昌幸の戦ぶりを学んだことが、幽閉先の九度山で父亡きあとの大阪の役における活躍となる。

 今回の再放送で、これまで以上の真田幸村像に迫り、さらに関ケ原前夜徳川方についた兄・信之(信幸改め)の真田家が明治まで続いたことなど、真田一族の素晴らしい生きざまなど・・・改めて学ぶことができた。虚実取り混ぜた「真田太平記」を読むとさらに分かりがいいけど・・・。

 ところで、このBS歴史館では、31日(木)午後8時00分から「不屈の英雄アテルイ 古代東北の底力」が放送される。11日(金)からスタートしたBS時代劇「火怨・北の英雄 アテルイ伝」も今週が最終回となっている。

 東北の古い歴史の中にこのような素敵な男がいたのかと、今回のドラマを見て初めて知ることができた。歴史書の中では、この英雄アテルイに関しての記述はわずかであるらしいが、今回の秀逸のドラマとBS歴史館により・・・アテルイが共に暮らした民のために懸命に生きた一人の人間であると分かるだろう。

 そして、東北の人々にとっても我々にとっても、歴史の一コマを見出すことができると思える。最終回の前日にBS歴史館の放送が行われることで、クライマックスを迎えるドラマをしっかりと見据えたい・・・。

 よく見ている歴史秘話ヒストリアと違って、BS歴史館では歴史の専門家や俳優さんたちのゲストが出演。そして、渡辺真理さんの司会進行、ナレーションは佐々木蔵之介さんが受け持っており・・・とても分かりやすく興味を引く番組構成となっている。

 好きな番組の一つである(夫)

[追 記]~BS歴史館・不屈の英雄アテルイ~
 1200年前、平安京を築いた桓武天皇が、どうしても打ち負かせなかった不屈のリーダーが東北にいた。その名はアテルイ! 朝廷は20年にわたって大軍勢を送りこんだが、勝利をあげることはできなかった。アテルイたちが強かったのはなぜか? 最新の発掘や研究から浮かび上がったのは、東北の自然の中で培った驚きの戦闘能力と、広大な交易ネットワークを操る知恵。そのリーダー、アテルイの実像に迫る!
【語り】佐々木蔵之介
(出典:NHK公式HP 抜粋)


(真田幸村公・終焉の地)


(安居神社)


(真田幸村公の象)

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