旅ときどきマラソン&ビール

前期高齢者の日常報告。家庭菜園、マラソン大会。好きなビールの他、ワイン等の話題。手料理の披露。ときどき旅の話題も。

次のマラソン大会に向けて練習再開

2011-04-25 21:04:18 | 日記

伊達ハーフマラソンから1週間。
それほどの足へのダメージはなく、すぐにランが再開できるのでは、と思っていたが・・・・。
しかし、寒く、風が強い日々がつづき、なかなか走れない。
走る気力がでない。
これも大会の疲れの一種かとも思う。
昨日、ようやく、いつもの練習コース「軽川河川敷」と「JR線路沿道路」を1時間ほど走る。
走り始めは、思ったよりも足が重く、走りはきつかった。
が、河川敷では「鯉のぼり」がボランティアのみなさんによってセットされ、風になびいて泳いでいる。
毎年のことだが、ボランティアさん方には感謝の気持ちでいっぱい。
除々に気持も乗って、走りもペースが乗ってくる。
久しぶりの走りで身体がすっきり。

しかし、福島原発の状況はますます酷くなるようで、福島市の孫が心配である。
じつは、妻と息子が、福島へ「ペットボトルの水」やそのほか現地で不足気味の物資を車で運んだ。
震災の後遺症がまだまだ続き、福島市内でも物資が不足気味。
また、見えない脅威が徐々に福島県庁所在地に近づいてる感じがしないでもない。
新聞に掲載されている文部科学省調べの放射線量測定値では、東日本の中で、福島県の県庁所在地(福島市!)がダントツで高い値を示している。
風向きが、まさに福島原発から福島市の方向へ放射性物質を運んでいるようだ。
今後、どうなることか、と心配している毎日である。

写真は軽川にセットされた鯉のぼりの様子です。

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伊達ハーフマラソンを走ってきました

2011-04-19 19:23:25 | 日記

北海道で一番最初のレースとなる伊達ハーフマラソンを走ってきました。
雪解けが遅く、また福島へ1週間行ったり、と練習はなかなかできなかったコンデション。
体調は悪くはなかったが、走りこみ不足から今回の目標設定は1時間55分。
当日は札幌駅北口からシャトルバスに乗り、伊達歴史の杜公園へ、スタートの1時間前に到着。
バスに乗る時に渡されたゼッケンをレース用のシャツに付けたり、ストレッチ、アミノバイタルとドリンク、バナナをとり、最後のウオーミングアップで身体を温める。
寒くて風も強いが、曇りから徐々に晴れ間がでてくる。
10時50分スタート。いままでのスタート地点と今回のスタート地点が変わっていた。
参加人数が増えたためか。
走りの状況は次のとおり。
  0- 5km 区間タイム26:44/タイム26:44
 5-10km 区間タイム28:06/タイム54:50
10-15km 区間タイム27:40/タイム1:22:30
15-20km 区間タイム24:49/タイム1:47:19
20-FINISH区間タイム 5:31/タイム1:52:50(ネット)
正式タイム1時間53分28秒
ナント今年は、開始のホイッスルからスタートラインまで38秒もかかっている。
マラソンの愛好者が毎年増え続けているのを実感する。
さて、10km~15kmは、坂道の上りが続く、トンネルもある、きついコース。
いつもは、この区間では10kmまでよりも1~2分タイムが落ちているのが普通。
が、今回はかなり強い風が吹いていて、登りもトンネルの中もずーと追い風状態。
すこし抑え気味に走った5-10kmよりもタイムが逆にアップしていた。
また、15-20kmの5kmは過去のマラソンで最もベストのタイムではないだろうか。
結果は目標を2分以上もクリアした、まぁまぁの走り。
それにしても、気温は7℃で、風も7m/sを超える強風の中のランだったが、晴れていたため、気分の良い走りだった。
ゴール後のキノコ汁も美味しく、帰りの北湯沢温泉もノンびりできた、いい一日だった。
写真は制限時間に近づいたころのフィニッシュの様子です。みな満足した顔をしています。

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東日本大震災から1ケ月~福島へ行ってきました

2011-04-12 22:22:41 | 旅行

昨日で東日本大震災から1ケ月が経ちました。
大震災、巨大津波、原子力発電所の事故と3重苦に合い、さらに余震も止むことがない。
震災で亡くなられた多くの方のご冥福を祈るとともに、震災に合われた方々に心よりお見舞い申し上げます。また、東北地方の一日でも早い復興を願わざるを得ません。
私事ですが、娘が福島市内に居住し、孫娘とともに大地震に見舞われました。
マンション8階の部屋は、地震で食器棚が倒れ、食器が散乱。冷蔵庫内のものも飛び出し、電子レンジやパソコンなどが落ち、部屋はとても住める状況にはなく、その夜は勤務中の婿さんのところへ車で4~5時間かかって行き、駐車場で一夜を過ごしたとのこと。
翌日にはマンションへ戻ったものの、ライフラインは止まり、生活できる状況ではないということで実家の札幌へ娘と孫娘が避難してきました。運よく福島空港からの臨時便にのることができ、札幌で3週間すごしました。
しかし、孫娘は春から小学生。入学式が4月6日にあるということで4月1日に福島へ戻りました。
その二人に同行し、マンションの壊れた食器棚等の片づけなどを行ってきました。
旅とは言えない福島県の1週間でした。

写真は、新千歳空港から福島空港へ行く途中のフライトで見えた石巻湾のようすです。
自衛隊機が被害に合った航空自衛隊松島基地が見えます。
この海岸で多くの方が亡くなっています。合掌。

 

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