今日は中学校の面談である。Kちゃんの担任は、若い男性で新婚さんである。さぞかしKちゃんにつっこまれているであろう(笑) 彼女にとっては格好の担任であり、彼女の評価も上々。
「H先生ははなー、なんてゆーか、和むねんな。ほっとするっていうか」。いわゆる癒し系というか。
きちんと落ち着いて生徒たちを観察されているし、観察の感想もしっかりフィードバックされて生徒たちのやる気をたかめてくださる。オトナに対しては、なかなか辛口なKちゃんの好評価もうなずける。
帰宅後、H先生について話をした。
「(わたしのこと)なんてゆーてはった?」
「もう絶讃の嵐でございました」
「ほしたら明日、『お褒めの言葉をありがとうございました~』ゆーとくわ」
「ほやけどな、『お笑い』に関しては、H先生、まだまだやねんな。『ここは笑いをとる場所ちがうやろ』、というとこで、わざわざギャグいわはるねん。ほいで、受けんかったり、シケたりしたら、機嫌わるうならはるねん」
こういう話はKちゃんからは、よく聞く。Kちゃんは、自称『お笑い評論家』であり、鋭い批評と笑いのセンスは若輩ながら、なかなかのものである。それどころか、私はもう彼女の足元にも及ばない。
というのも、本日初、私は娘より「お笑いの極意」を教えていただいた。彼女はひとりごとのように、こう続けたのだ。
「ギャグを言う時には、しっかり周りを見て、自分をコントロールできんと」
!!! これってほとんど「お笑いの道」というか「お笑いの修行」なのでは。
その場の空気を繊細に読み解き、話の方向、人々の感情のベクトルなどを事細かに計算し、話の流れを見ながら、一番笑いが効果的に生まれる「そのとき」を待ち、その一瞬をタイミングよく掴む!
たしかにKちゃんはそんなことを日日している。恐ろしいヤツだ。そんなアクロバティックなことを「自覚的」にしていたなんて。いやもちろんそれは天性のもので、自覚したのは最近なのだろうが。
いやー、まさしくKちゃんは『父の娘』なのである。
「H先生ははなー、なんてゆーか、和むねんな。ほっとするっていうか」。いわゆる癒し系というか。
きちんと落ち着いて生徒たちを観察されているし、観察の感想もしっかりフィードバックされて生徒たちのやる気をたかめてくださる。オトナに対しては、なかなか辛口なKちゃんの好評価もうなずける。
帰宅後、H先生について話をした。
「(わたしのこと)なんてゆーてはった?」
「もう絶讃の嵐でございました」
「ほしたら明日、『お褒めの言葉をありがとうございました~』ゆーとくわ」
「ほやけどな、『お笑い』に関しては、H先生、まだまだやねんな。『ここは笑いをとる場所ちがうやろ』、というとこで、わざわざギャグいわはるねん。ほいで、受けんかったり、シケたりしたら、機嫌わるうならはるねん」
こういう話はKちゃんからは、よく聞く。Kちゃんは、自称『お笑い評論家』であり、鋭い批評と笑いのセンスは若輩ながら、なかなかのものである。それどころか、私はもう彼女の足元にも及ばない。
というのも、本日初、私は娘より「お笑いの極意」を教えていただいた。彼女はひとりごとのように、こう続けたのだ。
「ギャグを言う時には、しっかり周りを見て、自分をコントロールできんと」
!!! これってほとんど「お笑いの道」というか「お笑いの修行」なのでは。
その場の空気を繊細に読み解き、話の方向、人々の感情のベクトルなどを事細かに計算し、話の流れを見ながら、一番笑いが効果的に生まれる「そのとき」を待ち、その一瞬をタイミングよく掴む!
たしかにKちゃんはそんなことを日日している。恐ろしいヤツだ。そんなアクロバティックなことを「自覚的」にしていたなんて。いやもちろんそれは天性のもので、自覚したのは最近なのだろうが。
いやー、まさしくKちゃんは『父の娘』なのである。
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