暑さもさることながら、問題はむしろ湿気。午前中は病院のハシゴをして、自分のカラダのメンテをし、午後からはごろごろの「休日」とすることにした。おあつらえ向きに『風光る』の19、20巻がお待ちかね♪
19巻では「英明な」、けれど「理解不能」な徳川慶喜の、イケメンなお忍び姿で始まり、彼の「理解不能」と「英明さ」と、ちらりとではあるけれど「武士への嫌悪」が描かれる。彼はまだこのとき将軍職ではないし、今後もなる気はさらさらないのだ。なるほど「武士への嫌悪」かー! この伏線がのちのち効いて大きい事になるのかもなー・・・わくわく!
そして20巻では、幕末の人気者、坂本龍馬が登場! いまだかつてない龍馬像に唖然、かつ喝采。少女漫画でウケそうな長髪メガネ男子ながら、けっこうダメダメで今回かっこいいという点では、いいとこなしなのだった。「えーひとやん!!」っていうのはありありなんだけど。
他にも当時の最先端の舶来文化、写真をネタにした切ないエピソードあり、実は男装して新選組に入隊した主人公の少女の「お馬」(生理の事)ネタがうまくストーリーに反映され、そしてギャクとしても絶妙に織り込まれており、作者のノリノリさ加減がテン?ヌく伝わってくる。
主人公が実は女子だということは、沖田(とあと若干の登場人物)以外には秘密のことなのだが、これが様々な喜劇を生み、まるでシェイクスピアの『十二夜』(男装する女性が登場。でもシェイクスピアの時代の俳優さんは全員男性なので、実際は少年が女性役をして、かつ男装するという「ややこしや~」な世界)みたい、とわくわくする。
とくに斎藤一さんへの迄Mぶりは、ふだんが冷静、無表情、文武両道で抜群の切れ者なだけに、振り幅が大きくて面白すぎるっ! 作者だって斎藤さんが愛しくてしょうがないはず! なのに、さんざんなイジメっぷり(笑) これは作者の愛ゆえの迄Mと見た(笑)
それにしても『風光る』を読むと、「歴史」というものは本来ニュートラルなものなのに、後世に伝わる時には勝者の視点で作られて(もしくは歪められて)行くものなんだなあと痛感する。歴史の流れの中では、悪とか善とか、どちらかが間違っているとかいう問題ではないのだなあ、と改めて考えさせられた。
19巻では「英明な」、けれど「理解不能」な徳川慶喜の、イケメンなお忍び姿で始まり、彼の「理解不能」と「英明さ」と、ちらりとではあるけれど「武士への嫌悪」が描かれる。彼はまだこのとき将軍職ではないし、今後もなる気はさらさらないのだ。なるほど「武士への嫌悪」かー! この伏線がのちのち効いて大きい事になるのかもなー・・・わくわく!
そして20巻では、幕末の人気者、坂本龍馬が登場! いまだかつてない龍馬像に唖然、かつ喝采。少女漫画でウケそうな長髪メガネ男子ながら、けっこうダメダメで今回かっこいいという点では、いいとこなしなのだった。「えーひとやん!!」っていうのはありありなんだけど。
他にも当時の最先端の舶来文化、写真をネタにした切ないエピソードあり、実は男装して新選組に入隊した主人公の少女の「お馬」(生理の事)ネタがうまくストーリーに反映され、そしてギャクとしても絶妙に織り込まれており、作者のノリノリさ加減がテン?ヌく伝わってくる。
主人公が実は女子だということは、沖田(とあと若干の登場人物)以外には秘密のことなのだが、これが様々な喜劇を生み、まるでシェイクスピアの『十二夜』(男装する女性が登場。でもシェイクスピアの時代の俳優さんは全員男性なので、実際は少年が女性役をして、かつ男装するという「ややこしや~」な世界)みたい、とわくわくする。
とくに斎藤一さんへの迄Mぶりは、ふだんが冷静、無表情、文武両道で抜群の切れ者なだけに、振り幅が大きくて面白すぎるっ! 作者だって斎藤さんが愛しくてしょうがないはず! なのに、さんざんなイジメっぷり(笑) これは作者の愛ゆえの迄Mと見た(笑)
それにしても『風光る』を読むと、「歴史」というものは本来ニュートラルなものなのに、後世に伝わる時には勝者の視点で作られて(もしくは歪められて)行くものなんだなあと痛感する。歴史の流れの中では、悪とか善とか、どちらかが間違っているとかいう問題ではないのだなあ、と改めて考えさせられた。
勝者が歴史を作るんですよね。
敗者が歴史を引きずっているのは、現代の日本だけでしょうね。