紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

懐かしのクイズ番組

2007-01-30 21:23:02 | テレビ
 『むかつく二人』の中で三谷さんが「クイズタイムショック」で、家中が盛り上がった、という子どもの頃の話をおっしゃっていた。

 どれくらいエキサイトしたかといえば、まず回答が出て来る箇所を隠す目隠しボードを作ったそうである。本格的なのは、机の上に椅子を置き(くるくる回るタイプ?)、家族が順番に実際に椅子に座って回答した、というくらいの熱中ぶりなのだ。どんなにエキサイトしても、普通そこまではしない。やはり才能を産む家族はやることが本格的やな、と感心しきりであった。

 70年代は、我家(実家)でもクイズに熱狂した時代だった。我家でも、といっても父と私だけだが。
 横は「券\/音楽」「文学/歴史」などのジャンル別に、縦は10~50点の番号が書かれたパネルを選び、ひっくりかえすと問題が書いてあるという趣向の『クイズグランプリ』が主なクイズ合戦の場だった。あろうことか母親が出場者応募のハガキを私の名前で出していて、大阪までペーパー予選に行ったこともあった。もちろん予選落ちである。中学生か高校生の頃である。
 
 中でも手に汗握ってエキサイトしたのは、『ダイビングクイズ』だった。静かでやや物悲しい(休日が終わりに近づきつつある)日曜の昼下がりに放映されていた。色とりどりの風船の海に、見事に磨かれハゲ頭のような光沢のある滑り台が二体佇んでおり、回答者はより情勢が不利になりそうな薄く白い手袋を嵌め、クイズに答える。

 クイズに答えられないか不正解だったとき、滑り台の角度はわずかずつ上がって行く。険しくなる角度に耐えきれなくなり、風船の海にどちらかの回答者が旅立つまで、クイズは続いて行く。

 力尽きたときの、回答者の身の振り方を見るのが、大変興味深かった。あっさりと無抵抗にあきらめ遊ぶように滑る人、中程まで滑ってしまうといさぎよく万歳して身を投げる人、身を捩って抵抗に抵抗を重ねる人、滑り台の後少しでダイブ!!というところで踏みとどまる人、千差万別な人生を見る思いだった。

 かなりの傾斜があるのに、腕の力だけで身体を支え、問題を聞いている途中でずるずると力尽きる人もいた。力のこもった腕が、ぶるぶると休む事なく震えるのを見て「がんばれ!がんばれ!」という応援と「もう充分がんばった、もう楽になって」というアキラメが交錯する私の心中。千々に乱れる思いである。人ごとなのに、なぜこんなに熱くなるのか??と疑問に思うくらいの感情移入であった。

 知力だけでなく、体力も使うクイズ。体力を消耗させつつ、それでもだからこそ集中力を総動員させて知識を競う番組は、シンプルながら「総合力」というものを試したモデルではなかったかと、いまさらながら考えていたりもしている。

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3 コメント

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Unknown (brary)
2007-02-01 08:54:27
アパートの中庭にあったすべり台で「ダイビングクイズごっこ」をしてました。エスカレーターのようなてすりと白手袋、魅力的でしたねー。風船の中に落ちるというのもファンジックでした。司会はダブルけんじでしたっけ。
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Unknown (紙魚子)
2007-02-01 21:30:56
ウィキペディア「ダイビングクイズ」より引用しますと、

* 初代  千葉信男(喜劇俳優)?964年4月~1964年9月
* 2代目 若井はんじ・けんじ(上方漫才師)?964年10月~1973年3月
* 3代目 ジェリー藤尾(歌手・タレント)?973年4月~1974年3月

* 司会者は 都合三代目まで居るが、特に二代目の若井はんじ・けんじは、当時人気兄弟漫才師であったことや放送期間の大半はこのニ人の司会で放送されたため、現在でもこの番組を懐かしむ人たちは、司会と言えば、この二人と言う人が多い。
 
ということです。
ダイブとともに舞い上がる風船の視覚効果は、たぶん一生忘れられないですね!
 リンクを貼っていてつもりなのに、うっかりしていました。おかげでフォローでき、サンクスです。
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Unknown (brary)
2007-02-01 23:41:47
おお、はんじ・けんじでしたか。ありがとうございました。
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