紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

聴かせてよ、愛の言葉を

2006-02-15 22:07:02 | ドラマ
 今日は3月から5月の陽気だったそうである。どうりで暖かい。

 朝は濃い霧が出ていたので少し早めに出勤し、近道を使ったらすいすいといつもより早く出勤できた。きのうは一日閉室して図書整理をしていたので、横から見ると書架の本の背中がきちんと水平に並んで、とても気持ちがよかった。

 その昨日の書架整理は大好きな仕事のひとつなので、あっという間に時間がたってお昼になってしまった。お昼に所用があり外出するため車にのって走り出したら、ラジオから『聴かせてよ、愛の言葉を』がインストルメンタルで流れて来て、条件反射的にぐっ、ときた。泣きそうな気持ちで聞き惚れる。

 古い恋の悲しい思い出にまつわる歌・・・ではない。去年の11月、どうしても観たくて仕事をオフにし、家事もうっちゃって観に行った「びわ湖ホール」で上演された永井愛さん作・演出のコメディ『歌わせたい男たち』。そのラストで戸田恵子さんがちいさな声でとぎれとぎれに、でも切々と歌うシャンソンが甦ったから。

 演劇を観たのは5年程まえにKちゃんと『ピーターパン』を観に行って以来。だから演劇鑑賞の場にいられる、というだけでもかなりのヨロコビを味わってしまったのだが、『歌わせたい男たち』は腰が抜けそうにショッキングだった。とてもシンプルに「いま私たちがどこに居るのか」を容赦なくみせてくれる。

 学校の保健室が舞台で、シュチュエーションは高校の卒業式前の2時間。
戸田さんが(ストリップのように)保健室のカーテンから足を出して、シーツにくるまり登場するのはいきなり度肝を抜かれた。

 東京都立の高校(人権推進指定校!!)の卒業式前に「全員起立で『君が代』(40秒!)を歌う」という教育委員会からのお達しを死守するべく奔走する校長先生。彼はすごく『いいひと』として描かれていて、葛藤の末(もしかしたら現在も葛藤中?)、いまの立場にいるだけに、なおさらコワい。

 反する「君が代」斉唱時に不起立を貫く覚悟の日本史の先生。

 校長の味方だが、何ら葛藤のない「日の丸・君が代」大賛成の若き英語教師。

 そこに売れないシャンソン歌手で、やっと2ヶ月前音楽教師の職にありついたばかりの「この職を死守したい!」35歳のピアノの下手さに悩む仲ミチルさん(戸田恵子)。彼女は卒業式の「君が代」伴奏のために採用された。が、彼女は「ミス・タッチ」とあだ名され、生徒たちから「笑える授業で大人気」というくらい、ピアノが苦手。果たしてミスなく伴奏ができるのか、不安で心配でしょうがない。 

 彼らプラス保健室の先生が繰り広げるコメディだけど、「君が代」を巡って「歌うVS歌わない」の攻防を繰り広げるうち、それが生活の糧=職を左右したり、いつしか精神のバランスを失ったり、果ては命をかけるまでの事態に。「腹立たしくて泣きたいのに笑ってしまう状況」の現実にぞっとした。

 アフタートークでは「『笑えるエピソード』(例えば「卒業式で自由はないといわれていますが、そんなことはなくて・・・来賓の挨拶、紅白の垂れ幕などは自由です」とか)はすべて現実なんです。裁判を傍聴しましたが、みんな爆笑していました」
と作者の永井愛さんはおっしゃっていました。ぞっとしつつ笑うというシュチエーションのコメディ。

 クライマックスでの校長先生の「内心の自由」についての演説は小泉さんの演説のパロディで「東京では会場が爆笑だったんですが」と永井さんは首をかしげておられました。校長先生役の大谷亮介さんの迫真の演技に、実のところ私は笑うどころでなく、パロディとはわかりつつも背筋が凍りそうでした。

 ラストでは戸田さんが『聞かせてよ、愛の言葉を』を情感たっぷりに歌われて、もう涙、涙・・・。右とか左とか、愛国心とか自由とか、そういうややこしいところをごくシンプルにすっきりと飛び越えた演劇の力の凄さに、ねじ伏せられた思い。全面降伏。胸にぐっさりで思う存分浸りながら電車に乗って帰宅しました。

『歌わせたい男たち』のあらすじ→http://www.nitosha.net/history/stage32/about.php
朝日舞台件p賞/読売演劇大賞、受賞作。納得!

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