紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

お昼寝

2007-09-16 22:26:55 | ノンジャンル
 今日、「内田先生(神戸女子大でフランス文化論を教える内田樹教授。合気道の達人。著書多数)の研究室」を訪れたら、「昼寝のすすめ」という文章があった。まるで人ごみで知り合いを見つけたようなヨロコビに浸る。
 
 むろん私は内田先生とは知り合いでもなんでもないが、冒頭の

夏休みもあと一週間でおしまいである。
今年はほとんど休みらしい休みがとれなかった。
海にも山にもゆかなかった。
唯一の夏休みっぽさは「昼寝」を存分にしたことだけである。

という部分に、かなりシンクロしたのだ。

むろん私自身には「夏休み」はないし、でも「休み」というものは人より多いくらいなのにも関わらず、暇さえあれば昼寝をしていた。というか、現在進行形でどんな隙間時間も容赦なく眠っている。海に行くより山に行くより、とにかく眠るということが最優先された。あまり意識していなかったが、私の中では死活問題だったのかもしれない。これを「昼寝」というのほほん感のあるものと等しいかどうかは、かなり疑問ではあるが、「眠る事」にかけては実に貪欲な夏だった。

 眠いのを我慢して仕事を仕上げるより、とりあえず眠いときは寝るに限る!とばかりに怒濤の睡魔に身を任せる快楽主義者である。誘惑に弱いのである。意志薄弱なのである。これについては「何とでも言って!」と投げやりなのである。

 しかし内田先生は彼の本日のブログで、そんな私の投げやりな卑下を価値変換してくださった。

ところで、人間というのは「一夜明けると別人」というペースでだいたい変化するわけであるが、昼寝をすると、これが別人になるチャンスが一日二回訪れるということになる。
「昼寝前」に頭の中にぎっしりとひしめいていた思惑やら不安やらは「昼寝後」になると雲散霧消とはいわぬまでも、その圭角を失って、なんだかうすらぼんやりしたものになっている。
(略)

基本的に「人間的成長」というものはだいたいが「それまで非常に気になっていたこと」が「後で考えたらどうでもよくなる」という形式でなされるものである。
私の経験からして、昼寝というのはそれに似た心理的効果をもたらす。
(略)

イタリアやスペインの諸君があまり働いていないわりには、どうも「大人」っぽい雰囲気を漂わせているのは、彼らがこまめにシエスタをすることと無関係ではないのかもしれぬ。
昼寝は戦争とか投資信託とかM&Aとか、そういう殺伐としてものともなじみがよろしくない。
日本人のとげとげしい社会的未成熟はあるいは昼寝の不足に由来するのやも知れぬ。

 まったく、べつやくれい風に言えば、「いやっほう!」なのである。お昼寝バンザイ。

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