紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

探し物は何ですか?

2007-02-10 22:28:39 | ノンジャンル
 PTAの仕事もお兄ちゃんの卒業と共に、引き継ぎ準備をせねばならない。

 私の前の役員さんはそれは几帳面で、1年間の仕事の流れがわかるよう、すべての書類をコピーして残しておられ、蓄積された情報を見やすく整理し、私が最初に取りかかる仕事を箇条書きにして具体的に明瞭化してくださった。なんと有り難かった事だろう。

 わずかな時間を利用して、さっきも少しだけ書類の整理にかかっていた。広げられた紙類の海に難破しそうになってるお母さんをみて、娘が呆れていた。あちこちのクリアファイルに分散していた書類が、ある程度まとめられほっとする。

  人生の多くの時間を「探し物」に費やしている私は、時間があると一念発起して、細かな整理作業を試みる事がある。

 ところが、なのだ。整理され、すいすいと目的の物がみつかるはずなのに、整理前の置き場所しか覚えていない、という絶望的な悲劇に見舞われる事もしばしばである。整理後の洋服ダンスや引き出しに、大きな付箋を貼り所在を明らかにすることすらある。認知症一歩手前では??と、自分自身におそれおののくことすらある。

 図書館司書という整理、分類をし、どこにどの本があるのかを、即座にみつけるという能力が要求される仕事なのに、私生活にまったく反映されないのが、実に悔しくも悲しい。仕事とプライベートは意識して分けるようにしているのがいけないのか? 換金される時間内でしか、整理、分類+それを見いだす能力は発動されないのか?

 ところで井上陽水の『夢の中へ』という歌詞の中で、「探し物をやめたとき、みつかるのもよくある話で」という部分がある。1年前のブログで、30年前に作家の北杜夫さんからファンレターのお返事のハガキをいただいた、と書いた。そしてそれが探しても見つからなかった、ということも後続で書いた。

 先頃、押入れをひっくり返して「ひとり探し物大会」を繰り広げていた。Kちゃんの学習発表会に使えそうな、私の着られなくなった洋服などを探していたのだ。

 そのとき、押入れの奥の奥の院より発掘した紙袋に、怒濤のような年賀状が入っていた。そしてついに念願の北杜夫さんのハガキを発見した。結果的に、1年がかりであった。

 大喜びでKちゃんに見せびらかしたが、当然のように「だれ、このひと?」とのたまう。当時大ブレイクした作家さんで、「違いのわかる男」の珈琲のCMにも出てたんやでぇ~!と必死に説明する。「まあ、とにかく、ファンレターに返事くれはるなんて、ええ人やなあ」という理解までにはこぎつける。
 
 そうや、ええ人のファンになれて、お母さんもうれしいわ。





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