紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

運命の不思議

2007-11-15 22:48:11 | ノンジャンル
 私が小学生の頃は(そしてたぶん今も)「きちんと自分の意見を持って主張できる」のが、素晴らしい子どもだったように記憶している。それがずうーーっと長い間、私の中の「できないことリスト」のズラリと並ぶ項目の中でベストスリーに位置していた。

 もちろん「自分の意見を持って主張出来る」というのは、「そういう人に私はなりたい」という理想である。というか長らく理想だった。今もってその理想は実現していない。

 胸の中で必死に「自分の意見」「自分の主張」を引っ掻き回して探してみるも、空しくからっぽな場所に風が舞っているだけなので、唖然呆然とするのみだった。自分のテイスト(「好き嫌い」や趣味)は、くっきりはっきりしているのに、それはあまりに自分がなさすぎなのではと思ったこともあった。

 世の中には、自分というものをしっかり持っていて、自分の足で枝分かれする道を選択しながら歩いているという、尊敬すべき人達が大勢いる。そしてもちろん、私はそんな中には入れない。

 なにかこう、運命に導かれるまま、というか、どうしようもなく行き当たりばったりに歩いてきた。ハンドルもブレーキもなく、風まかせ波まかせだ。自分の中にあるものによってではなく、自分に起こることが、自分にフィットしてるかどうかだけを判断する。風を受ける帆は持っているようなので、それだけが唯一の基準だった。最近では、ついに「それでもいいのでは」とも思ってはいる。

 意見や主張はないけれど、自分のテイストに沿っているかどうかだけは、自分に問いかけて来た。損か得か、楽かしんどいかどうか、ではなく。ャ潟Vーもイデオロギーもないので、風向きに寄ってはどうなるかも予想出来ない。ほとんどバクチか、アミダくじのような人生。それはたぶんバクチではなく、「阿弥陀くじ」だったのだろう。

 つまり今のところ、ホトケさまに導かれたありがたい人生なのである(笑) ラッキー(なのか?)だけで運命の波に乗っているのである。

 ところで、一昨日の読書会で河合隼雄さんの本を読んだのだが、以前彼が文化庁長官の職に就いた時は、うそうそ!?という思いでいっぱいだった。ちょっと前に「職を退いたから、これからはのんびり自分のやりたかったことを思う存分するつもり」というような文章を、新聞か雑誌で読んだばかりだったのだ。

 『縦糸横糸』で、彼は「文化」というものに導かれて自分の仕事を進めて来たので、文化庁長官というのは、「文化」つながりで引き受けた、というようなことを書いておられた。「文化」への恩返し、というシンプルな意味もあるのだろう。

 けれど、河合さんは本物のカウンセラー必須の能力として、「運命の声」を聴き取る力があったはずなのだ。自分の希望する生き方とは違うのにも関わらず、何かしら運命的なミッションとして、相当な覚悟を持って引き受けられたのでは?という気もする。

 とはいえ「運命の声」は必ずしも幸せを運んで来ないし、かえって不運や不幸や苦労の連続になりかねない。それをあえて引き受けられたのは、やはりカウンセラー魂というか、「心」と言う一筋縄ではいかないものと格闘されて来た宿命のようなものを感じる。
 ーしかし、それもこれももはや過去の事。いまはもう、河合さんは天国でゆっくりと過ごされていることだろう。お好きだったフルートを吹いたり、久しぶりに知古に会って語らったり、にこやかに法螺を吹いたりして、過ごされているのかも、とふと空想してしまうのだ。

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2 コメント

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Unknown (しん平)
2007-11-16 20:00:39
ぼくは河合隼雄が大好きだった。出る本は片っ端から読んで、全集まで買っていた。今、優れた働きをされているユング心理学の臨床心理士のNさんに、彼が学生時代に河合隼雄の本を初めて紹介したのも密かなる誇りであった。
 が、正に文化庁長官の仕事をはじめてから「心のノート」にいたるまでの仕事ぶりは大いに落胆させられた。高橋哲哉が「心と戦争」(晶文社)で指摘しているように、一見ソフトなあの心理学の手法が見事に「国家の統治行為」としての教育に転用されている実態に悲しくなる。全集は「家族論」を残してブックオフに二束三文で売り払った。
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Unknown (紙魚子)
2007-11-16 23:07:32
河合さんに文化庁長官の打診があったという話を聞いた時には、「そんなん、ならはる訳ないやん。アホやな~」と一笑に付していたんですけれどね。まさか受けはるとは思いもしませんでした。だから『心のノート』以前に、すでにかなりのダメージでした。
でも、きっと就任時に「何か(裏が)あったはずだ」(判らないけど地位や名誉でなく、魂を売っても必要だと思われた何かを得るため)と、今も愚直に信じています。
 その辺の謎を知りたくて、今回産経新聞に連載されていた『縦糸横糸』を、わざわざ読んでみたのですが、戸惑う程にトーンが暗いのです。でも道徳教育ははっきり否定されているし、(特定のものでなく)宗教性の必要をおっしゃっていました。私はあまりに符に落ちなさすぎて、ついに河合さんに落胆できませんでした。
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