紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

秋晴れにジェノサイド!

2008-10-08 14:31:48 | 季節
 夏の再来かと思われるような、暑いくらいの秋晴れにもかかわらず、憂鬱である。

 人間の暗黒面を「これでもか!」と思う存分みせられたあげく、今日の家事などの予定のあれこれが吹き飛ぶような出来事にたっぷりと時間を奪われたにも関わらず成果はかんばしくない。よって身も心も疲れ果てた。

 あのいまいましい毛虫どものせいである!!!

 洗濯物の並んだデッキによじ上り、憎らしいことに2階のデッキにまで上がり込み、あげくにおばあちゃんの入浴補助器具の中にひそみ、洗濯竿にまで厚かましくも上がり込んで来た奴ら!!

 こんなにお天気がいいのに、洗濯物を干すのもためらわれ、蒲団干しの絶好のチャンスにも関わらず、泣く泣くあきらめねばならなかった。断じて許せないことは、前の職場のボランティアさんからいただいた、苔玉にモミジの小苗が植えられたちいさなプレゼントが紅葉を始めたというのに、それすら1/3を残すばかりという被害を被っていたのだ! 

 許すまじ!! 

 気分は日の丸のハチマキをしたヒットラーである。空しさと高揚感が錯綜し、絶望と躁状態が入り乱れ、ジェノサイドの坩堝である。殺戮の限りを尽くして「やれやれ」と10分その場を離れただけで、再びどこからかやってきて、ウニウニとあちこちを歩き回る毛虫ども。

 キンチョールによる「ガス室作戦」、地道だが確実な「踏み踏み作戦」などを展開するも、隣の柿の木にスズナリになる毛虫は、あとからあとから兵士を補充して来るのだ。多勢に無勢とはこのことである。「ウンカのごとく」という形容も身に染みて理解出来た。

 貴重な水曜休みなのに、あんなこと(タンスの衣替え)もこんなこと(提出書類の作成)もそんなこと(お聡怐jだってしたかったのに、すべて夢と消えた。扇風機を片づけ、暖房の準備も考えないといけない時期だというのに、である。人間の暗黒面をフルオープンにしたからと言って、決して責められるべきではないと思う。

 と、言い訳してもやはり憂鬱。殺戮の最中は高揚するが、その後の空虚な落胆は砂を噛むようである。殺戮とは空しいものなのだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿