http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20110226
(↑その1からの続編)
アイマス2の評価について、もっと状況を把握しやすいものがあるのに気がついた。
Amazonのレビューである。
↓それを延々と読んでみて世間の総論的にまとめてみた。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B003V1WILE/ref=s9_simh_gw_p63_d1_i1?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-1&pf_rd_r=0AZY3Z69JFPTAJKGS345&pf_rd_t=101&pf_rd_p=463376736&pf_rd_i=489986
高評価と低評価の両極端に分かれやすい傾向がある。
特に低評価ばかりというわけではない。
高評価が多いのは、従来品に強い思い入れがなさそうな人や新規ユーザーっぽい人。
低評価が多いのは、従来品に強い思い入れがある人。
グラフィックに関しては、取り上げた人全員が高評価。
出来映えに怒り狂う人も含め、グラフィックにネガティブ意見を書いた人は1人もいない。
低評価されている内容は9割がた共通。
中でもシナリオに関する低評価が多数派。
ただし高評価をつけた人の中にはシナリオはアリだという意見も少なからずある。
竜宮小町に関しては、NPC化した事の他に、扱いが悪いことへの言及が多い。
むしろNPC化に関しては諦観の域に達しているようなところもあって、それよりむしろ扱いが悪いことに対しての苦言のほうが目立つ感もある。
木星に関しては、存在に疑問を呈する言及が多いのに反し、意外なことに登場シナリオそのものでの不満は見当たらない。
キャラゲーの部分で前評判に無かった低評価の主たる項目としては・・・
アイドル間の関係が初期にギスギスしていてアイマスのイメージにそぐわない発言をすること、
枕や彼氏などギャルゲーでやってはならない話があること、
シナリオ全般の完成度に対する疑問(特に貴音のシナリオへの不満)、
メールのDLCが中身据え置きで値段を倍にした態度に関すること、
・・・など。
それらをして、嫌な意味でリアルになっているとコメントされることが度々ある。
キャラゲーをのぞいた純粋なゲームとしての部分は賛否両論。
良い/悪いのどちらかに偏っているわけではない。
状況推測。
以前からのファンであったという感情論を抜きにすれば、amazonで★☆☆☆☆をつけられるに値するようなゲームでは絶対ない。
ふつうに見れば良いゲームである。
アイマス2が初代だとすれば、きっとほとんどの人から高評価を得られていた。
ただ・・・
初代アイマスはあまりにも偉大だったのだ。
あたかもそれはガンオタがGガンダムを受け入れられないように。
ガンダムを知らないライトユーザーにとってGガンダムは好評であったように。
なぜこんなことが起きたのだろうか?
ファンの抱いていたアイマスと、メーカーの抱いていたアイマスとに、大きな隔たりがあったということが根本原因だと思う。
では、なぜ隔たりができたのか?
ファン同士ではありえないような隔たりが、なぜメーカーとの間でできてしまったのか?
それは、そもそもメーカーというものは、熱心なファンほどには作品を大事にしないということがある・・・ように思う。
なぜメーカーはそこまで作品を大事にしないのか?
それは、メーカーの人間は
「俺たちがいさえすれば、同じものならまたすぐに作ってみせるぜ!」
と思っているからだ。
アイマスのようにコンテンツ産業なわけではないが、わたしもメーカー側の人間なのでそう感じるところがある。
メーカー側の人間にとっては、それを作ることができる技術力や設計能力やノウハウこそが最も大切にされるべきもので、プロジェクトの成果物自体は実は「最も」にはならない。
だから、前作当時に比類する技術力や設計能力やノウハウを投入して新しいのを作ると、前作がなかったとしたら高評価になるはずの作品で、かつ前作にあった大事な部分が削られた作品に仕上がるのも、それは妥当といえば妥当だと言えなくもないわけだ。
こういう作品に対する意識の差を埋めるにはどうしたら良いのだろうか?
その1つの解はシェアードワールドでははかろうか。
たとえばクトゥルー神話体系である。
クトゥルー神話はラヴクラフトの創作による作品群から始まったものだが、後にダーレスの管理の下に多くの作家が世界観を共有して創作するという、ほぼオープンな世界に切り替わった。
ダーレスの管理したクトゥルー神話の方向性については批判がないわけではない。
だが、それでもラヴクラフトの書いたオリジナルの世界を信奉した者たちを幻滅させたわけでもなかったし、多くの作家が集うことによって熱心なファンの皆から非難の集中砲火を浴びるような事態にもならなかった。
そしてダーレス自身がラヴクラフトの熱狂的信者だったことも間違いなく影響していよう。
実はこの世界に最も近いのはニコマスである。
ただ、悲しいかな、ニコマスは直接的な意味合いにおいては権利者(バンナム)の利益には貢献しない。
それがダーレス主導のクトゥルー神話体系の世界とは異なる。
ひょっとすればだが、これを解決するビジネスモデルを見つけるのも、次期アイマスを成功させる秘訣につながるかもしれない。
(↑その1からの続編)
アイマス2の評価について、もっと状況を把握しやすいものがあるのに気がついた。
Amazonのレビューである。
↓それを延々と読んでみて世間の総論的にまとめてみた。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B003V1WILE/ref=s9_simh_gw_p63_d1_i1?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-1&pf_rd_r=0AZY3Z69JFPTAJKGS345&pf_rd_t=101&pf_rd_p=463376736&pf_rd_i=489986
高評価と低評価の両極端に分かれやすい傾向がある。
特に低評価ばかりというわけではない。
高評価が多いのは、従来品に強い思い入れがなさそうな人や新規ユーザーっぽい人。
低評価が多いのは、従来品に強い思い入れがある人。
グラフィックに関しては、取り上げた人全員が高評価。
出来映えに怒り狂う人も含め、グラフィックにネガティブ意見を書いた人は1人もいない。
低評価されている内容は9割がた共通。
中でもシナリオに関する低評価が多数派。
ただし高評価をつけた人の中にはシナリオはアリだという意見も少なからずある。
竜宮小町に関しては、NPC化した事の他に、扱いが悪いことへの言及が多い。
むしろNPC化に関しては諦観の域に達しているようなところもあって、それよりむしろ扱いが悪いことに対しての苦言のほうが目立つ感もある。
木星に関しては、存在に疑問を呈する言及が多いのに反し、意外なことに登場シナリオそのものでの不満は見当たらない。
キャラゲーの部分で前評判に無かった低評価の主たる項目としては・・・
アイドル間の関係が初期にギスギスしていてアイマスのイメージにそぐわない発言をすること、
枕や彼氏などギャルゲーでやってはならない話があること、
シナリオ全般の完成度に対する疑問(特に貴音のシナリオへの不満)、
メールのDLCが中身据え置きで値段を倍にした態度に関すること、
・・・など。
それらをして、嫌な意味でリアルになっているとコメントされることが度々ある。
キャラゲーをのぞいた純粋なゲームとしての部分は賛否両論。
良い/悪いのどちらかに偏っているわけではない。
状況推測。
以前からのファンであったという感情論を抜きにすれば、amazonで★☆☆☆☆をつけられるに値するようなゲームでは絶対ない。
ふつうに見れば良いゲームである。
アイマス2が初代だとすれば、きっとほとんどの人から高評価を得られていた。
ただ・・・
初代アイマスはあまりにも偉大だったのだ。
あたかもそれはガンオタがGガンダムを受け入れられないように。
ガンダムを知らないライトユーザーにとってGガンダムは好評であったように。
なぜこんなことが起きたのだろうか?
ファンの抱いていたアイマスと、メーカーの抱いていたアイマスとに、大きな隔たりがあったということが根本原因だと思う。
では、なぜ隔たりができたのか?
ファン同士ではありえないような隔たりが、なぜメーカーとの間でできてしまったのか?
それは、そもそもメーカーというものは、熱心なファンほどには作品を大事にしないということがある・・・ように思う。
なぜメーカーはそこまで作品を大事にしないのか?
それは、メーカーの人間は
「俺たちがいさえすれば、同じものならまたすぐに作ってみせるぜ!」
と思っているからだ。
アイマスのようにコンテンツ産業なわけではないが、わたしもメーカー側の人間なのでそう感じるところがある。
メーカー側の人間にとっては、それを作ることができる技術力や設計能力やノウハウこそが最も大切にされるべきもので、プロジェクトの成果物自体は実は「最も」にはならない。
だから、前作当時に比類する技術力や設計能力やノウハウを投入して新しいのを作ると、前作がなかったとしたら高評価になるはずの作品で、かつ前作にあった大事な部分が削られた作品に仕上がるのも、それは妥当といえば妥当だと言えなくもないわけだ。
こういう作品に対する意識の差を埋めるにはどうしたら良いのだろうか?
その1つの解はシェアードワールドでははかろうか。
たとえばクトゥルー神話体系である。
クトゥルー神話はラヴクラフトの創作による作品群から始まったものだが、後にダーレスの管理の下に多くの作家が世界観を共有して創作するという、ほぼオープンな世界に切り替わった。
ダーレスの管理したクトゥルー神話の方向性については批判がないわけではない。
だが、それでもラヴクラフトの書いたオリジナルの世界を信奉した者たちを幻滅させたわけでもなかったし、多くの作家が集うことによって熱心なファンの皆から非難の集中砲火を浴びるような事態にもならなかった。
そしてダーレス自身がラヴクラフトの熱狂的信者だったことも間違いなく影響していよう。
実はこの世界に最も近いのはニコマスである。
ただ、悲しいかな、ニコマスは直接的な意味合いにおいては権利者(バンナム)の利益には貢献しない。
それがダーレス主導のクトゥルー神話体系の世界とは異なる。
ひょっとすればだが、これを解決するビジネスモデルを見つけるのも、次期アイマスを成功させる秘訣につながるかもしれない。