私が、もっとも恐れていたことが起こった。
理研の笹井さんが自殺をしたそうだ。
マスコミ、社会および学会の犠牲者なのだろう。
過ちは誰にもあることだ。
もちろんそれなりに責任の取り方があるのだろう。
しかし、命まで引き換えにするような話なのだろうか。
少なくとも学術の分野では、間違いを認める社会であってほしいと思う。
そうでなければ、熾烈を極める先端分野での研究など誰もできなくなってしまう。
笹井さんの無念を思う時、強い悲しみを覚える。
今回の事件が示した我が国の異常さに重い不快感を感じる。
拙速な感があったNHKスペシャルによる報道も、笹井さんを追い詰めた要因なのかもしれない。
翻って、身の回りを見た時に、同じような状況がいくつか見受けられる。
福島第一原発で行っている凍土遮水壁もそうだ。
止めた方がよいと言っているのに、強行して、まだ凍結していない。
今、もっとも辛い針のむしろに座っているのが、強硬に進めた人々だろう。
世界は温暖化に向かっているのに、地面を凍らせるなどどいう、摂理に反した手段は陳腐でしかない。
被害が拡大する前にやめたほうがよい。
巨額の国家予算を獲得するために、チャンピオンデータを振りかざしてプロジェクトを進めるケースが多く見受けられる。
失敗することもあるという前提で話を進めるべきなのだろう。
科学などというものは、数%くらいの確率でしか本当の成果は出ないのだから。
大規模な気候変動や地殻変動が現実化している今、「うまくいかない」ことを前提としたサバイバル科学が必要だ。
STAP細胞に関わる一連の騒動で、これ以上の犠牲者が出ないことを心から希望する。
特に事実の報道は大切かもしれないが、それには時宜がある気がする。
笹井さんのご冥福を心より祈りたい。
合掌