デジカメをかざした多くの観光客に混じって、京都タワーを写メした。
昔、京都に住んでいた学生時代を、ふと思い出す。
45年前、大学に入った年に、日米安保の自動延長があった。
高校の時から、学問とは何か、教育とは何か、などとずいぶんと熱く議論したものだった。
よく勉強もした。
あのころ京都タワー周辺には、赤ちょうちんの屋台がたくさんあった。
夜行列車の待ち合わせで、一杯やるのが楽しみだった。
焼き鳥や豚足など、労働者風のおじさんたちに混じって、気炎を上げたものだった。
それは、「コンフォーミズム」の打破だった。
一人一人が、自分の顔を持ち、自分の意見を持ち、自立すること。
それが社会の多様性を生み、システムの安定につながる。
さて、一昨日、安全保障法案が可決された。
国会前に集まった若者たちに、自分の青春時代を重ね合わす。
時代が変わって、ずいぶんスマートなデモだ。
昔のように、過激なデモはなくなったけれども、これからは君たちの時代だ。
顔が見えなくなった国会議員など、もうどうでもいいではないか。
(1)リスクの軽減
(2)国際貢献
という矛盾した意義をまことしやかに説く与党議員や、何の対案も示せない野党議員など、気にしない方がよい。
できるならば、新しい日本を作るために、自分たちの政党を立ち上げてほしい。
これからの社会を実質的に担わなければならない若者たちが、納得のいく社会体制を提案してほしい。
高齢者であるおじさんたちは、それを応援したいと思う。
ろうそくをモチーフとした京都タワーを見ながら、そんなことを考えた。
若者の意見に耳を傾けない政治は、もうたくさんだ。
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