DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

湖の鎮魂歌(19)

2013-06-29 14:29:22 | ButsuButsu


湖の研究をしていて思うことは、遷移ということだ。

420万年前に、伊賀上野にあった古琵琶湖が次第に北に移り現琵琶湖となったように語られるが、実際には40万年(140万年から100万年の間)ほどの断絶がある。

しかし、専門家以外はそのことに触れない。

琵琶湖の歴史は、400万年だと多くの文献に書いてある。

謎に包まれた40万年の空白だが、生物はそれなりに生きながらえたのだろう。

したたかなものだ。

どんな生物にも消長があり、時には絶滅したりする。

学問でもそうだ。

流行り廃りがある。

10年前に多くの学生が集まった学問が、今は見向きもされなくなる。

時代を観るのに敏感でないと、後で苦労することになる。

琵琶湖のように長い歴史ならばよいが、人間の一生は短い。

それなりに知的好奇心を満たし、それなりに学問的もしくは社会的貢献もできるような進路を選びたいと思うのだが、試行錯誤するうちに生涯を終えてしまう。

研究者の世界も結構厳しいが、経済活動の世界はもっと熾烈なのだろう。

かつての日本を支えた電気産業が衰退し、今隆盛の自動車産業にも陰りが出てくる。

そんなに遠い時代のことではないだろう。

次の主要産業が何かによっては、国家の存亡にかかわるのだろう。

すべてが資源という制限を持っている。

どんなに便利な技術であっても、突然使われなくなることもあると、歴史書は語っている。

湖の守り人は、水という資源を守る。

学問は、人という資源を守る。

産業は、国という資源を守る。

勝てるときにできるだけ勝て、というのが弱肉強食の世界の鉄則だ。

欧州の小国がいまだに大きな発言権を保っているのも、植民地時代に大きくゲインした結果だ。

極東の小国が、何に基盤をおいて勝ち抜くのかは、一に資質と時宜にかかっている。

したたかに、かつ、しなやかに爪を研ぐしかないではないか。

しかるに、この国の民は、あまりにもシャイで謙虚だ。

そうだとするのならば、徹底的に防御するのもよいかもしれない。

ささやかな世界だが、陸水学という分野も興亡の岐路に立たされている。

ただ幸いなことに、水は生物に必須であり、この学問が普通の場合には消滅することはありえない。

そんな中で、琵琶湖に浮かぶ沖島が離島指定を受けることになりそうだ。

急激な人口低下と高齢化で、自立が困難になってきているのが原因だ。

マザーレイクのような絵空事ではなく、琵琶湖の維持に根本的に立ち向かう施策が必要だと10年前から言っているのに、耳を傾ける人が少なすぎた結果だろう。

耳に優しい文言は、その時には心地よいが、決して本質的な解決はもたらさない。

ガバナンスは、目的と手段と実行を伴ってはじめて効果があるが、方向が間違っていると全部が沈んでしまう。

現実を正しく理解し、納得したうえで未来を志向しなければ、衰退しかないではないか。

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