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今日の富士山は、雲に隠れていた。
機嫌が悪いのだろうか。
***
かの西山に登り その薇(び)を采る
暴を以て暴に易え その非を知らず
神農・虞・夏 忽焉(こつえん)として没す
我いずくにか 適帰(てつき)せん
ああゆかん 命の衰えたるかな
***
有名な采薇(さいび)の歌だ。
私は、あの西山に登り、蕨(わらび)を採って暮らしている。
暴力をもって暴力に取って代わりながら、誰も過ちに気づこうとしない。
神農などの賢明な王たちが築いた正しい世の中は消え去り、私にはもはや帰属するところがない。
ああ、全てが終末であり、天命は衰えてしまった。
と言うほどの意味か。
「史記」の作者、司馬遷はここでこう解釈する。
『天道、是か非か』
覇王を非難し、恨みを天にまで訴える、伯夷と叔斉の話だ。
***
集団的自衛権を、95%の憲法学者が意見だと言っている。
暴力には暴力だとうそぶき
義を持たずに突き進む政権与党に
果たして天道があるのだろうか。
西も東もなく、与党も野党もなく、天道に即して是か非かを議論すべきだろう。
国民は、晴れやかな富士の山を望んでる。
そうしないと、この国は暴力に滅ぼされてしまう。
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