続 写真は心

お気に入りの写真に気ままな独り言を書き込んでいるブログです。

人種によって?

2013-05-18 | 富戸

Fto

これは富戸で出会ったイソカサゴのカップルです。
オスがメスを庇っているように見えて、微笑ましく見えます。

相思相愛なら「素敵なカップル!」ですが、メスを一方的に拉致して連れ込んだとなると全く違う事になります。

米国で若い女性3人を次々に拉致して犬のように鎖でつなぎ、10年間も性の奴隷にしていた男が逮捕されました。

日本でも稀に同じ事件が起こりますが、犯人が逮捕されて、生き地獄から命からがら生還した女性に対する接し方が、米国の人々とあまりに違ってしまうのが同じ人間同士なのに不思議に思ってしまうのです。

日本人では、被害女性は本人に全くなんの責任が無いのにも係わらず、本人も家族もそっとしておいてほしいと、まず表に出てくることはありません。が、今回の米国の被害女性達は、白昼堂々と家族と地域の人々が拍手を送って、誕生パーティーのように生還を祝っていました。

彼らは、辛い目に遭い死ぬかもしれない極限を、生き抜いて帰って来た事を称賛し祝うのですね!

これは戦争で捕虜になって解放されたときの、民衆の対応と同じ事が言えますね!生還した「英雄」と称えるか、捕まるなんて「惨めな奴」、と見下すか・・・

クーは「恐怖の極限状態のなかで、良く我慢をして生きて帰ったね!」と言って、その精神力と勇気を称えてあげたいと思います。


GWは那須から白河へ 3

2013-05-13 | お城・史跡

白河は戊辰戦争の時に、鶴ヶ城の前線で「白河口の戦い」となった地なのです。
この小峰城も、会津藩・新撰組・旧幕府派武士軍と薩摩藩・長州藩の新政府軍とで当然取り合いになり、落城焼失してしまいました。

平成3年に、現存していた「白河城御櫓絵図」(松平定信公が作成させた実測図)により木造で忠実に再現されました。
見つめていると、幕末の会津藩の苦悩と律儀さに胸が熱くなってくるのです。
現在石垣の補修中ですが、その写真を、

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GWは那須から白河へ 2

2013-05-12 | お城・史跡

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白河と言えば「白河の関」ですが、そもそもは東北の原住民の蝦夷(えみし)が南下して来ないように、彼らに物資を勝手に行き来させないようにと、奈良時代に大和朝廷が此処に関所を設けたのが始まりとの事です。

実際には蝦夷達は南下することはなく、逆に当時の大和朝廷は、蝦夷討伐と称して攻撃を加え、勢力を東北まで広げていきました。
その後、平安時代には此処が関東と東北の境目の地として全国に知れ渡りましたが、律令制が衰退するとともに「関」としての機能も失われて行き、寂れていきました。江戸時代には少し離れた場所にまた関所が設けられました。

しかし寂れている間も、都では遠いこの地に思いを馳せ、歌に詠まれたりして地名だけは忘れられる事が無く、平安期から江戸時代に至るまで、能因や西行、松尾芭蕉まで此処の歌を残しているのです。

今回は石碑ではなく、此処にある樹木などをUPしてみました。

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樹齢800年の「従二位の杉」の巨木

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GWは那須から白河へ 1

2013-05-11 | 旅行記

ことしのGWは恒例の那須から、白河への小旅行をしてきました。
まずは那須の田園風景の写真からです。

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これぞ『里山』と言う景色ではないですか!?

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<spen style="color: #33ffff;font-size: 1.2em;">植えられたばかりの早苗の水面に雲が流れて

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夕焼け時も此処だけは平和な時間がゆったりと

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日も暮れてサクラソウの群落の向こうに那須岳が覗き

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眺めていたら瞬く間に夕焼け空に染まっていって
カエルの大合唱に送られて家路についたのでした。