先日、足立区にある「西新井大師」(正式には、五智山遍照院總持寺と称する真言宗豊山派の寺院です。)に、かみさんと行ってきました。
江戸時代、幕府の御朱印寺として栄えたそうです。
特に、八代将軍吉宗公が鷹狩りの時に、此処で休息をとったところから御膳所となり、将軍家の尊崇する寺となりました。
上の写真は、門前通りの正面にある山門(江戸後期建立の入母屋造りで総檜材の楼門造り)です。
くぐってから見た山門は、
門内の両側には、かなり傷んでいますが金剛力士(仁王像)があり、楼上には見る事はできませんが、五智如来像が安置されているそうです。
山門をくぐってすぐ右側にあった石柱には
厄除け弘法大使と!
西の「川崎大師」に対して、東の「西新井大師」と呼ばれています。
左側には有名な「塩地蔵」があったのですが、真ん前で作業していらしたので撮らずにスルーしました。
その先には「六角観音堂」が
後ろ(右側)には、満開の八重桜とコデマリが
その脇の手水舎(ちょうずや)で身を清め
進むと、右側に「鐘楼堂」が建っています。
戻って正面にあるのが、
「大本堂」です。
江戸時代の本堂は、昭和41年に焼失してしまいましたが、昭和47年に再建されました。
この寺の創建は、天長年間(824~834)に干ばつ飢餓にくるしんでいたとき、弘法大師が立ち寄り、十一面観音菩薩と自身の像を刻み、悪疫除去を祈願しました。
すると、悪疫はなくなり、枯れていた井戸に大師像を投げ入れたところ、清水がこんこんと湧きだしたそうです。
本堂の西の井戸から新たに水が湧いたところから「西新井」の地名がつき、そこの大師(弘法様)堂となったそうです。
その井戸が、この「加持の井戸」です。
更にその左奥にあるのが、
都内には此処にしか残っていない三匝堂(さんそうどう)です。
「さざえ堂」とも云い、江戸時代に流行った仏堂形式のひとつで、内部が螺旋状になっている階段がありました。
以前行った会津の白虎隊のお墓の下にあった「さざえ堂」を思い出しました。
それから本堂にお参りして、また西側にある庭園を回りました。
四国行脚されているお姿の「弘法大師立像」です。
池に架かる石橋は「大願成就橋」です。
池の周りには色々なお堂があります。
引き返して
クーの好きな屋根の「不動堂」です。
関東三十六不動霊場の二十六番札所です。
それから本堂の東側に移動し、やはりクーの好みの建物の「書院」を撮りました。
いいですね~!
この建物の左の建物も気に入りました。
当寺はまた、「西の長谷寺、東の西新井」と呼ばれる花の寺なのです。
牡丹が有名なのですが、ちょっと早かったようで、ちらほら咲いている程度でしたので写しませんでした。
そのまま本堂の脇を通り裏門から駐車場へ向かいました。
今回行かなかった「宝照殿」と「東門」は次回撮りに行こうと思います。