続 写真は心

お気に入りの写真に気ままな独り言を書き込んでいるブログです。

松本城

2016-06-03 | お城・史跡



約40年ぶりに松本城に行く事ができました。

本来の目的は、「ある人のお見舞いに諏訪へ行く事」でしたが、会話を交わす事もままならず、あまり長居をして疲れさせてもいけませんでしたので、早々にお暇させてもらいました。でも、クーの名前を大きな声で言った時、動かせない顔の目を見開き、分かってもらえたのが嬉しかった!

なんとか奇跡的に回復して、もう一度話をしたいと念じたクーなのでした。

駐車場から城内に入って行くと、以前にはなかった二の丸から本丸の「埋門(うずみもん)」へ渡る朱塗りの「埋橋」が架かっていました。本来の橋はどのようなものであったのか、良く分かっていないそうです。

松本城は、天守も櫓(月見櫓は別)も黒が基調ですので、朱塗りの橋もアクセントになって良い景観となっていました。

二の丸に沿って、本丸入口までの内濠ごしに見る天守群は、400年の本物の迫力と気品がスレートに伝わってくるのです。

上写真の右端に本丸に入る「黒門」が見えます。そこまでぐるっと歩いて行きます

さらに近づいて行くと、黒門の「高麗門」があり、高麗門から中の桝形と櫓門を撮ってみると

この桝形内で入場券を買い、本丸内へ入ります。

本丸内から黒門の渡櫓門を見たところです。

時間がありませんでしたので、小走りで天守の入り口へ急ぎました。
なにせ入場券を買ったのが、入城制限時間の数分前でして・・・

この道の先の、「大天守」と「乾小天守」をつなぐ「渡り櫓」に入城口があります。

近づくとはっきり見える、天守左側の赤い手摺りの「月見櫓」は、三代将軍家光公がおみえになるとの事で、時の城主であった松平直政公が平和な時期に増築させた櫓ですが、家光公は一度も来る事はなかったそうです。

真下から仰ぎ見る大天守はドスが効いて、戦の為のお城の迫力に圧倒されます!

大天守内の色々な展示物を見学しながら、急な階段を上りきった最上階の梁には、このような



なのだそうです。

天守群から出て、本丸内北側から天守群を眺めると

本丸内をなお東側に回って見た天守群です。

真東からの天守群、雲が面白かったのでシルエットみたいに絞って撮ってみました。
何時までも眺めていたかったです!

黒門から退出して、左側から撮ってみたのが下写真です。

黒門から出て更に左側に歩いて行くと、二の丸の玄関にあたる「太鼓門」があります。
平成11年に復元された門です。

二の丸内から見た太鼓門で、この渡り櫓が一の門で、桝形の外にある高麗門が二の門となっています。
上写真の左側の赤松の石垣上に「太鼓楼」がありました。ぜひその櫓も再建してほしいものです。

桝形内から二の丸を見た写真が下の写真です。

この後ろにあるのが、三の丸へ出る高麗門です。

また、この桝形内にある渡り櫓の石垣には「玄蕃石」と言う巨石があり、本当に大きいので目につきます。

先に書きましたが、此処は本来、門の脇に太鼓と鐘で時を知らせる櫓があったので、この名がつきました。

この門が破却された直後に此処から写された古写真が下の写真で

門や櫓などが取り払われていると、石垣の向こうに天守がまる見えになっています。
大八車の人を中心に、同じ場所から今の此処を撮ってみました。

やっぱり、こうでなくてはいけません!

二の丸内に戻って右側には、当時は「二の丸御殿」が建っていました。
その入り口にある「冠木門」です。

二の丸御殿は平面復元されていて、本当の復元がまたれます。
さらにその奥に、三の丸へ出る木橋が架かっています。

今、こうして国宝の松本城を見られるのは、

このお二人の尽力があったればこそ!なのですね!

最後に、在りし日の松本城の画を



おまけの一枚です。

本物のお城は、とにかくすばらしい!!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。