続 写真は心

お気に入りの写真に気ままな独り言を書き込んでいるブログです。

那須から会津へ 2

2013-08-26 | お城・史跡

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飯盛山から、白虎隊士達がその文武と精神を学んだ日新館へとやってきました。
駐車場の上に、日新館の標語である「什の掟」の看板が目に飛び込んできます。
そう、「ならぬことは ならぬものです。」の、それです。

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此処が正面玄関の南門です。

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南門の奥に、この戟門(げきもん)があります。

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戟門の更に奥には大成殿があり、当時の日新館の精神性の柱であった、孔子とその弟子達が祀られていました。
この構造は中国の紫禁城をミニチュアにしたようで、なかなか面白く感じました。

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此処は日本で初めてのプールだそうで、甲冑を身につけての水泳とかやったそうです。

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NHKの「八重の桜」で籠城戦の撮影で使われた鶴ヶ城の模型が展示してありました。

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出口付近の天文台からの日新館

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出口になっている西門から入口方向を見た白壁。

此処で白虎隊士達が学び、山本覚馬が教鞭をとっていた事に思いを馳せると、なぜかわくわくしてきてしまうクーなのでした。


那須から会津へ 1

2013-08-24 | お城・史跡

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先週末から那須へ行っていました。
月曜日(19日)に時間が出来たので、一人で戊辰戦争時の会津戦争で白虎隊が自刃した飯盛山に行ってきました。

鶴ヶ城には2回行ってますが、飯盛山には行った事がなく、この次には絶対に行きたいと思っていましたので、那須から直行しました。

この日は34度近くの暑さで、観光客も殆んど日陰で休んでいました。
しかし
飯盛山参道から一気に白虎隊士が葬られている墓所へと登りました。
汗が体中から噴き出しましたが気になりませんでした。

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正面の階段が本道だと思っていましたが、参拝者に便宜上造られたような感じです。

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石段の上に19名の墓石が並んでいて真ん中の大きな石柱の下にまとまって眠っていると言うことです。

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松平容保公の弔歌(追悼歌)の説明板

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お墓から右側に石段を下りて行くと、白虎隊士達が自刃したその場所に着きます。
その石像が見つめている先が鶴ヶ城(の下)なのでした。

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あの時の彼ら白虎隊の心境を思う時、なんともやるせない胸詰る感情に浸ってしまうのでした。

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その時飯盛山には20名の白虎隊士がいて、内、19名が絶命してしまいましたが、ただ一人(飯沼貞吉氏)が蘇生して、その悲劇の顛末を語り残しました。

現地に実際に行く事ができて、本当に感激してしまいました。


終戦記念日

2013-08-15 | 本と雑誌

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今日は68回目の終戦の日です。

あの人間を人間と思わない凄まじい戦争は
日本人を「戦争」と言う言葉だけで、アレルギー的反応を示さすようにしてしまいました。

勿論戦争はもうしてはいけませんし、日本国として他国を侵略する事などとんでもない絶対あり得ない事ですね!

がしかし、です。
我が国は不可侵を徹底していても、他国が我が国に侵略を仕掛けてきた時にはどうしますか?

本当に嫌だけれども、排除(撃退)しないわけにはいきませんよね!
その時は「話し合い」などなんの役にも立たないのは分かりますよね!

そんな状況の覚悟だけはしておくべきとクーは思っています。

何故か百田尚樹氏の「永遠の0」の「宮部久蔵」が思い浮かばれ、「戦って生きて帰る」事が今後の日本人に必要な事なのではないのかと思ってしまうのです!

以前読んだこの本を、今一度読み直してみたくなりました。