ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

新しい道

2010年03月07日 22時09分20秒 | Weblog
 市道から我が家までは約100mありますが、その途中から分かれて、奥の畑や林道に行く道があります。

 2月に突然、道の脇に杭が打たれ、舗装工事が入ることを知りました。



 工事は実際には3月に入ってから始まったのですが、3/5にアスファルト舗装がなされました。
 
 雨や雷がひどかった日でしたが、無事に舗装されたようですね。

 新品のアスファルトの臭いは、鉄道線路の臭いに似ています。
 私は好きですね。

 今日降った雨も、まだはじかれていますが、しだいになじんでくるのかもしれません。
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国鉄・宮之城線の今  328

2010年03月07日 22時04分22秒 | Weblog
 駅を出るとすぐに右へカーブをとっていきます。
 しばらく山を削っている区間になりますが、土手の崩れを防ぐために擁壁がありました。
 
 腐葉土みたいになった葉っぱなどが上から重なっているので、ともすると見過ごしてしまいそうになりますが、これはれっきとした擁壁です。


 薩摩湯田~薩摩鶴田間はほとんど遺構らしい物はなかったのですが、薩摩鶴田~薩摩求名間には実にたくさんの物を見つけることができました。
 
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2010 我が家の春 ③

2010年03月07日 21時59分15秒 | Weblog
 ここ最近、雨が多かったので、わらび園をのぞいてみました。

 すると、期待に応えるようにして、今年もわらびが芽吹いていました。


 おいしい春もやってきました。
 
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国鉄・宮之城線の今  327

2010年03月07日 21時38分14秒 | Weblog
 手前から伸びていく道路が左右に分かれていますが、線路跡は右へ進みます。

 以前、宮之城~薩摩鶴田間はまとめて開業したと書きましたが、その理由も実はうなづけるところがあるのです。

 宮之城線を土地の標高で切り取った断面は薩摩求名の辺りまでは、それほど急激な上り下りはありません。
 もちろん、入来~薩摩山崎間では、いったん標高80m台まで上り詰めます。一部の区間で若干厳しい坂はありますが、薩摩湯田では標高30m台まで下っていきます。
 なだらかな丘陵地帯を抜けていくルートという感じです。

 ところが、薩摩求名駅でこれまでの最高地点を越えるや、薩摩永野~針持間にある宮之城線の最高地点に向かってひたすら上っていきます。
 ここからが山岳路線の始まりと言ってもいいでしょう。
 路線決定に当たっては、山岳区間のルートをどうとるのか検討をかなり要したはずです。まずは、薩摩鶴田まで建設しておいて・・・という狙いがあったのではないでしょうか。

 写真の奥に見えている山々の中にその最高地点があるのです。
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2010 我が家の春 ②

2010年03月07日 21時35分09秒 | Weblog
 クリスマスローズです。

 私が以前、人事異動の際に、銀行勤めの知人からいただいた花です。

 ちょっとうつむいた感じがステキです。
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国鉄・宮之城線の今  326

2010年03月07日 21時28分24秒 | Weblog
 さて、そろそろ薩摩鶴田駅を後にしたいと思います。
 構内から出る辺りで駅の方向を振り返ってみました。

 中央の白い壁の建物が鉄道記念会館です。

 こうして見ると分かりますが、小さな小さな谷間の駅ですね。
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2010 我が家の春 ①  

2010年03月07日 21時27分07秒 | Weblog
 一日一日、春めいてきます。
 とは言え、今週前半は寒くなるんだそうですが・・・。

 我が家の庭にもどんどん春がやってきています。
 とてもうきうきしてきます。

 さて、その第一号はチューリップ。

 70本ほど1畳ほどの広さの花壇に集中的に植えています。
 いつもの年なら、花が終わったら球根を掘り起こして、風通しのいい暗所保存をして、その間は、夏の花を植えるんですが、なんだかせわしかった昨年はそんなことをせずにほったらかし。

 生えてくるのかなとと思っていたところ、2月中旬頃からどんどん芽が出てきました。

 そして開花第一号です。
 背丈は15㎝ほどと小さいのですが、赤色の花は目立ちますね。
 
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国鉄・宮之城線の今  325

2010年03月07日 08時10分55秒 | Weblog
 「鶴田駅入口」のバス停です。
 ここは、宮之城線沿いの駅名を冠しているバス停としては、最も遠いバス停ではないかと思います。
 薩摩鶴田駅から田んぼの中の道路を抜け、いったん国道267号線に出てから、さらにさつま町役場の鶴田支所へ向かって行くという道のりです。1㎞近くあったのではないかと思います。


 
 さて、鶴田ダムの建設に伴い、薩摩鶴田駅には九州地方建設局の専用側線が設置されました。

 ここに、北九州の戸畑から特別仕立ての臨時貨物列車(俗称・ダム臨)で、川内を経由して建設資材が運搬されました。
 建設のピーク時には、川内から一日5往復も走っていたとのこと。

 そして、薩摩鶴田駅から建設現場まではトラックのピストン輸送が行われたそうですが、現在の静けさからはとても信じられない活況ぶりだったようです。



 薩摩鶴田駅の貨物取り扱い量は、発送が木材(パルブ・杭木・製材用)が主で、ダム建設時の1963(昭和38)年度には4492トン/全体11319トン、1964(昭和39)年度には4986トン/全体9708トンと約半分を占めていました。
 これは他の駅にも共通する傾向で、木材輸送線としての宮之城線の姿が浮き彫りにされます。

 一方、薩摩鶴田駅に到着する貨物(1964年度)は、セメントが176737トン、鋼材が1135トンで、全体が181157トンですから、これだけで98%を占めます。

 活況というよりは、建設バブルといった方が正しい表現かもしれませんね。


 乗降客数は、開通直後の1935(昭和10)年が約34000人、1940(昭和15)年が約73000人、1963(昭和38)年が約7万人と伸びました。
 そして、おそらくダム完成による遠足利用などのダム観光の需要が発生したのでしょうか、1970(昭和45)年には17万人を越えましたが、この後は次第に減少に転じて、1975(昭和50)年は11万人と減り続けていきました。

 鶴田ダムが完成してから4年後、早々と貨物列車は全廃され、貨物はディーゼルカーによる牽引に切り替えられましたが、それも1980(昭和50)年には廃止されました。


 大型公共事業があっても合理化が進展していったのは、とりもなおさず、沿線人口の都市部への流出・減少、マイカーの普及(ちょうど高度経済成長期ですね)、バス路線との旅客の競合、トラックによる輸送形態の変化などが指摘されています。

 とは言え、鶴田ダム建設がもしかすると、宮之城線の延命につながったと言えなくもない面もあるのかなと思います。

  
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国鉄・宮之城線の今  324

2010年03月07日 01時06分13秒 | Weblog
 薩摩鶴田駅は、1934(昭和9)年7月、宮之城からの延伸が成り、開業を迎えました。
 宮之城までの開通から8年2か月をかけて7.6㎞の区間が開通しました。

 田んぼの中を走る区間がほとんどであり、あえて言えば、佐志駅北側にある切り通しだけが工事の難所と言えば難所かもしれません。
 しかし、宮之城駅からの薩摩鶴田駅までの標高差は約30m。
 それほどの難工事だったとは考えられません。

そうなった理由は特別編に譲るとします。



 さて、薩摩鶴田駅には、1961(昭和36)年7月から1964(昭和39)年12月まで、通常の線路とは別に、専用側線が引かれていました。

 これは、川内川での大規模な電源開発として鶴田ダムを建設するためでした。

 鶴田ダムは、当時、西日本最大の重力式コンクリートダムであり、完成すれば日本で7番目の大きさを誇るダムになります。当然、その建設は世間の耳目を集めたようです。

 建設に当たっては、膨大な量の建設資材が必要になり、その運搬手段をどうするのか、その手段として宮之城線の活用が決まりました。 
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国鉄・宮之城線の今  323

2010年03月07日 00時02分18秒 | Weblog
 鉄道記念会館の東側にはプラットホームがありました。

 が、どうやらこれも再設置されたものではないかと思います。
 ホームにしては短すぎますし、ホームの両端にわずかですが、段差があります。
 ただの通り道ならいざ知らず、列車に乗るためのホームにこの段差はかえって危険です。

 駅の跡だよっというイメージは分かりますが・・・
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